学生の立場からすると一番重要なのは無事修了/卒業ということである、ということは十分に理解します1。なので、当研究室における修了/卒業要件を明示しておきます。
といいつついきなりですが、当研究室の修了/卒業要件は、東北大学のディプロマポリシー(学部、大学院)以上でも以下でもありません。より具体的なところでは:
- 入学時に配布される学生便覧はある意味契約書です。そこに明示的に述べられている事柄を違えることはできません。なので、便覧にある要求単位はしっかりとってください。足りないのはほんのちょっとだけなので何とかしてください、というのは無し(これはどの研究室も同じのはずです)。
- 「***といった結果を出さなければ卒業/修了させない」ということは絶対にありません2。また、「頑張ってないからだめ」ということもありません3。
- 論文数/学会発表数の多寡をもって修了4基準とすることはありません。一応普通にやっていればそれなりの数の投稿論文や学会発表となるようにスケジューリングをしているつもりですが、研究である以上、当初の予定とは異なる状況となることも多々あるわけです。
- ただし、どう見ても本来やるべきことをやったとは言えないだろう、というのであれば駄目です。定量的なところは難しいものがありますが、例えば以下のような状態であればOKとは言えないかな、と思います。
- 長期にわたり研究室にほとんど来ておらず、また連絡もほとんどつかない(例えば卒論であれば実質10-1月ですので、2か月全く研究室に来ていないなど)。
- 進捗報告会にほとんど出席していない(理由もなく半分以上欠席している、あたりでしょうか5)。
- 一方で、学生の研究成果に関しては、当研究室の基準はそれなりに高いと思います。が、研究室としての基準に達していないから学位は認めないということはありません6。ちゃんとやっていればそれなりに得るもののあるはず、と理解してもらって結構です7。
ぶっちゃけた話、学位とはライセンスみたいなものだと思います8。つまり、最低限のものはある、ということを保証9するものの、それをもってバラ色の人生とか将来ずっと安泰とかいうことを保証するわけではありません10。
これからのご時世肩書や所属組織ではなく一個人として何ができるの、ということがよりシビアに求められるようになることはまず間違いないわけで、卒業/修了できればよし、とするのではなく、自分を伸ばすんだ、という観点で貪欲な学生生活11を送ってもらいたいと思っています。
- まあ、当然ですよね。
- これは非常に危険な指導(というか指示)で、捏造や偽造に繋がりかねないものです。
- 大学(教育機関)ですので結果だけではなく頑張りも評価するべきということは理解しています。が、頑張ることはあくまで手段であって、目的ではないはずです。結果は出ている、けれども頑張っていないからだめ、というのはあり得ない考え方だと思います。頑張らずに結果を出す、というのは極論だとしても、結果のための適切な頑張り方を学ぶというのは大学院における一つの重要な学ぶべき事柄だと思います(なので、頑張ること自体を要求するのは本末転倒と思います)。
- 卒論で論文や学会発表は普通ありませんので、修了のみとしています。
- 毎回出欠をとるなんてことをするつもりは全くありませんが。
- 学位はあくまで東北大学の基準ですので。
- 逆に言いますとしようと思えばそれなりに楽ができる研究室なのかもしれません。が、その分(成果のみならず経験という意味でも)得るものは少なくなると思います。
- 特に博士号についてはそういわれることは多いようですが。
- といいつつ保証が正しくなかった場合にも責任を取らないのですが。
- 例えば博士号取得というのは非常に大きな達成であることに異を挟むつもりはありませんが、その一方で、After PhDはBefore PhDよりもずっと長いわけです。
- 失敗してもその責任をかぶる必要がないという、非常に素晴らしい立場なわけです。