一般的に研究とは学術論文として世に出て初めて意味をなすものと言われます。大体修士研究がそれなりの雑誌への投稿論文1報、場合によっては2報相当くらいになるようにしていますので、人によっては、修士の間に学術論文を書く機会があるかもしれません(学位論文は誰でも書かなければなりませんが、それとは別に)。
実際に学術論文をとなると、特に研究職になるつもりのない学生にとっては苦行ととらえられてしまう面が多々あるのは事実と思います。しかしながら、私の経験では、学術論文として自身の研究をまとめることで得られるものは研究云々以上に大変大きなものがあり、学生諸君には是非とも学術論文を書いてもらいたいと考えています。
論文においては限られたスペースで自身の主張を合理的に述べなければなりません。当然ながら得られたデータをすべて掲載するわけには行きませんので、実際には得られたデータをうまくまとめて、となります。その際に9割くらいのデータは没になる1 ことも普通に有りますし、その一方でさらに追加データの収集が必要となることも少なくありません。一度学術論文として自身の研究結果をまとめると、いかにして説得性のある、穴のないデータを取るかということを、最終的な出口を見据えて考えるようになります。さらに、文章自体もその意図が明瞭で誰もが合意するようなものとなるように構成される必要があります2。これらは何かを計画する際には不可欠な能力ですので、自身の研究成果の発表としてではなく、もっと重要なことを学んでいるんだという意識で学術論文に取り組んでもらえることを願っています。
なんやかんや言っても、自分がやったことが何らかの形で残るというのは嬉しいものですよ。
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