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オーストリア派遣事業参加

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 こんにちは。藤田です。この度公益財団法人 友愛 の主催するオーストリアへの大学生派遣事業へ採択され、これに参加しました。帰国からは少々時間が空きましたがこれについて報告します。
 内容を絞らずつらつらと書き連ねた結果、普段の15倍以上の文字数にまで膨らみました。強いて止めこそしませんが、時間を無駄にしたくない方には以下の雑要約だけ読んでブラウザバックすることをお勧めします。

【要約】
 公益財団法人 友愛 の主催するオーストリア派遣事業に参加した。本記事では、本事業への応募から採用、事前研修及び派遣中の出来事について記録する。本事業への参加を通じて、国際関係や難民支援等普段の研究から離れた分野についての知見を深めるとともに、背景の異なる学生たちとの交流を持つことができ、非常に有意義な研修であった。

以下本文。警告はしましたからね私は。

 この派遣事業の趣旨は、主催団体である公益財団法人 友愛 と交流のあるオーストリアの社会福祉団体 OEJAB に大学生を派遣し、難民救済事業や社会福祉事業についての知見を深めること で(あったと認識していま)す。

 さて、夏本番の8月上旬、白目ひん剥きながら院試勉強をしていたころに、大学の掲示板で本事業の募集を発見。工学系の弊研究室において研究生活を送る中ではなかなか接する機会のない問題に対し興味を覚え応募を決めました。
 申請書と1分間の自己紹介動画を作成し応募。意外とあっさりとしたものでした。
 応募してからというものの、院試や富士登山、長野逃亡等々と忙しない日々が続きプログラムについての記憶は徐々に薄れていきました。
 しかし冬支度を始める11月上旬、採用結果発表とされていた時期の自室に一通のはがきが。曰く選考に時間がかかっているため結果通知は一週ほど遅れるとか。連絡がはがきで来たから、というだけの理由で脈ありを確信しその後はウッキウキで結果通知を待ちました。今でこそはがきで来たからなんだ、応募者全員に対してそうしているだろうと冷静になれますが、当時はなぜか根拠のない自信に満ち溢れていました。この一週間後に郵便受けの中にレターパックを発見したときは開封を待たずして採択を悟り、自室まで小躍りしながら進んだのをよく覚えています。
 レターパックの中には、採用通知とともに勉強会の案内が同封されていました。この勉強会は、派遣に際して友愛の概念や歴史、諸問題の概要を学ぶとともに他学生と交流を深める目的での開催でした。これは12月中旬に開催されました。上で述べたことを果たすとともに、鳩山由紀夫先生のお話を聞いたり、あるいは鳩山会館を見学したりととても興味深い内容でした。

 卒論を書き上げ提出し、少し落ち着いた3月中旬、いよいよオーストリアに向け出発しました。
 今回の参加者は12名。2022年度に採用された6人に加え、2020年度、2021年度に採用はされたもののコロナ禍のあおりを受けて参加できなかった方の内、予定がついた6名が参加されました。採用当時は大学生だったものの、派遣が実現するまでに就職された方もいらっしゃいました。社会人と大学生の混合、というところももちろんですが、それぞれ大学時代に専攻していた領域が異なっていたためかなりバラエティ豊かな面々となりました。
 当日は夕に羽田空港に集合し、諸注意を受けた後深夜に出発。イスタンブール空港を経由しウィーン空港まで計約17時間のフライトでした。

イスタンブール空港のお土産どころ
細密画風のお皿から中東を感じ否が応でも昂ります

 さて、ここまでダラダラと書いてきましたが、普段の諸作業の合間の時間を縫っての文書作成では進捗など生まれるはずもなく、ここまでの部分、概ね応募からオーストリアに到着するまでの部分をまとめるだけで実時間にしておよそ2か月弱が経過しています。この分では、帰国してから記事の投稿まで半年かかりかねません。ついては以下の部分においては巧遅より拙速たるべきを旨とし、写真とこれに付随するそれらしいキャプションを淡々と並べることでお茶を濁すこととします。きちんとしたことはここで既に書いています。逃げを打つ準備は万端です。
 写真を多く掲載する都合上通信容量が大きくなることが想定されますがどうかご容赦ください。ここまで読んでくださった皆様の機器がWi-Fi等に接続されていることを切にお祈り申し上げます。

【滞在1日目】
 日本を深夜に出発し、オーストリア時間でおよそ9時に到着しました。途中イスタンブール空港での乗り継ぎも挟んだので、現時刻は何時か常に混乱していました。長距離フライトも飛行機の乗り継ぎも初めての経験でしたので、迷わず進む他の参加者の頼もしさたるやこの上ないものでした。派遣団団長に至っては、他の団員が見失わないように目立つ赤の服を着るという気の回しよう。
 到着後は現地の団体の方と合流し、ウィーン空港から市街地へと鉄道で移動しました。その後およそ10日お世話になる寮に向かい荷物を置き身軽になりました。しかし当然ここで留まることはなく、再びウィーン中心部へ向かい伝統的な喫茶店で昼食を摂り、少々の市街地観光を行い、夕食後帰寮しました。
 長距離移動と時差による疲労もほんのり感じてはいたものの、そんなものは目に映るすべてのものの新鮮さの前では塵芥に過ぎず、一日元気に過ごすことができました。明日以降の研修等がより楽しみになりました。なお、都合上1日遅れて参加する予定だった方が夜に無事合流でき、翌日からはフルメンバーでの活動となりました。

喫茶店の中のショーケース。ケーキの高さが日本とは段違いです。
こういうところですよこういうところ。
オペラ座(昼の姿)
派遣期間中何度となく訪れることになります。お気に入り建物です。きれいなので
ステファン大聖堂。
大規模なキリスト教系施設を見るのは初めてで昂りました。
バザーだかマーケットだかのドライフルーツ売り場。
これもまた人生経験ということで(よくわからないまま手当たり次第に)購入。
別の店ではありますが、研究室のお土産用にバザーだかマーケットだかで購入したスパイスの一部は好評でした。
同じくバザーだかマーケットだかのチーズ売りのお店。
声を掛けられるままに試食しましたが、
チーズごとに個性が際立ちとてもおいしかったです。
日本人から来たよと言うとみんなひたすら試食させようとしてきたのが印象的でした。
シュニッツェル。
薄いカツレツのような食べ物。とてもおいしい。
叩いて伸ばして薄いので重くはない。
グノッシュ。
日本でいうシチューのような料理でこれまたおいしかったです。
海外に行くときは、ご不浄の男女表記を事前に確認しておきましょう。
この写真のようにピクトグラムがついていればいいですが、ない場合は非常に困ります。
余談ではありますが、私は何度かやらかしかけました。

【滞在2日目】
 朝8時に寮を出、鉄道を使ってザルツブルグへと向かいました。オーストリア第2の都市ザルツブルグにおいては、その昔からあるお城を見学するとともに、モーツァルトゆかりの地を訪れることができました。
 日帰りで往復するということだったので、ウィーンとザルツブルグはそこまで離れていないのかと思いましたが、地図を眺め眇めつしてみるとなにやら片道300kmはある様子でした。日本で言えば仙台から東京へ日帰り旅行に繰り出すようなものです。電車移動中他の参加者とゆっくり話す時間が取れて非常に楽しかったです。

宮殿の庭園(名前は失念しました)を抜けて、ホーエンザルツブルグ城へ向かいます。
画面中央建物に挟まれて見えるのがホーエンザルツブルグ城です。
ケーブルカーなど甘え。当然徒歩での登頂です。
お城前の広場。
いやに大きい駒を使ってチェスをしている人たちがいました。
ザルツブルグ市街。
日本で地平線を見る機会はあまりないので、
さすが大陸は違うなあと思いました。
ザルツブルグはオーストリア最西端の都市。
境界こそわかりませんが、この写真でもドイツの国土は視程内だそうです。
ザルツブルグの歴史と、ホーエンザルツブルグ城の果たした役割の展示。
なにやら塩の交易が重大なキーワードなのだとか。
お城の中のレストランで食事。
奥でスマホをいじっている方は店員さん。合理的でヨロシイ
ホーエンザルツブルグ城近くの教会。
神社仏閣との違いなどを考えながら見て回っていたら
他のメンバーを見失いました。
携帯に入った呼び出しの着信に気づいたときには肝を冷やしました。
故モーツァルトの生家。

【滞在3日目】
 1日目2日目と遊んでばかりじゃないか研修はどこに行ったんだ勉強をしろ勉強を、というご指摘も入り始める頃合いかと存じますが心配ご無用。3日目からは諸団体への訪問を交えた研修が始まります。
 午前はBPI & AFit という OEJAB 関連の教育施設を訪問しました。3Dプリンタのモデル作成や金属加工といった職業訓練的な色の強いものから、独語習得のためのクラスといった、オーストリアで生活していくための基礎の教育までを一手に担う施設でした。翻って日本の移民難民に対する教育的支援制度を顧みたとき、果たしてこれが十分に整備されているかについては強く考えさせられました。
 午後は OEJAB 関連の老人ホームを訪問しました。設備・体制共にかなりよく整えられており、運用を開始して数年の今にして既に100名を超える入居待ちが生じているようです。今後も高齢人口が増大していく日本においてこのような施設の整備は急務といえます。しかし、運営費用や担い手の問題に関してバランス点が見つかっていないことも事実です。医学の背景を持つ他の参加者が指摘したその他の論点を聞くことも勉強になりました。
 老人ホームを離れた後は自然史博物館の見学もし、帰寮。夕食はホットドッグスタンドでいただいたのですが、さすが本場ドイツの隣国だけあって、人生最高ソーセージ記録を軽く塗り替えられました。

独語のクラスでの一枚。
英語を話す方もいらっしゃり、お話しすることができました。
施設の運用理念等を説明いただきました。
老人ホームの一室。
自然史博物館の中の階段。
宮殿を再利用している施設で、内装も豪華。
自然史博物館の中での一枚。
オーストリアで仏様をお見掛けするとは思いもよらず驚きました。
出国前に鎌倉は高徳院の大仏様にお参りしていたので、
縁というのはあるものだと思いました。
仙人ヤギと名付けました。
お気に入りの仲間
自然史博物館のお向かいの建物。
これまた何かの宮殿だそうです。
夕日を浴びてきれいですね
オペラ座(夜のすがた)
華やかさが増しています
夕食はソーセージスタンドで。
ちなみにここはオペラ座と角向かいにあって、
オペラ座を眺めながら食事することができました。眼福。

【滞在4日目】
 午前には今まで遠く眺めるだけであったステファン大聖堂に近づき、建物の内観外観をしっかり観察することができました。戦火に遭って一部消失したものの、これの再建にあたり OEJAB が関係しているということで、研修的要素が皆無と言わずに済むのはありがたいところです。二本のの尖塔(?)に登りましたが、一方はエレベータ付きだったのに対しもう一方は階段しかなく、登頂にあたってはかなりの苦戦を強いられました。まっすぐな階段ならまだよかったのですが、延々続く螺旋状階段によって無限を錯覚させられました。
 午後に訪問した国連と CTBTO では、各機関の説明を受けるとともに質疑応答の時間もいただきました。ありがたいことです。CTBTO 訪問においては、学部時代に得た知識が役に立ち親近感を覚えるとともに、弊専攻から国際社会へ貢献するための手段について考えるよいきっかけになりました。

今の今まで触れてきませんでしたが寮の朝食。
オーストリア滞在中の活力の1つです。
ステファン大聖堂内観。
豪華絢爛とはこのこと
古くは国章だったオーストリアイーグル
参加者をとる人をとる人をとる人を...とる人。
記事作成に飽きてきたので箸休め的に起用。
国連外観。
セキュリティが厳しく、いやに緊張させられました
CTBTO
各タイムゾーンでの時刻が表示されており、
国際的な連携を感じさせます。
国連の議場。
報道で見てきたのはこれだったか、と感動しました
わかりにくいですが背後に各国国旗。
日本国旗を見つけてニッコリ
滲み出る解放感。
人が写っていない写真ばかり使っているのは
使用許可を取ったりあるいは目線を入れたりする手間を惜しんだからです。
友達ができなかったとかそういうことではありませんので念のため。
夕食はピザ。
どこに行ってもピザはピザ。安心です。

【滞在5日目】
 午前中に学習支援施設への訪問をし、入居者の方たちとの交流を行いました。
 午後はシェンブルン宮殿を訪れ、ハプスブルク家の歴史解説を交えた見学を行いました。内部の写真撮影は禁止でしたので資料はなし。

入居者の方達作の絵画。
美術系のクラスも含め幅広いコースを提供し
可能性の探索に資しているそうです。
入居者は金銭負担なく宿泊施設が提供できる旨書かれています。
交流の様子
ETとかそういうことではない。
見づらいですが、
左は KOMBUCHA 昆布茶
右はザッハトルテ味の飲むヨーグルト。
知らないものに挑戦しないことには何も始まりません。
味についてはコメントしません。
シェンブルン宮殿。
あまり良い写真はありませんでしたが今の時代問題ないでしょう。
この文書の趣旨を鑑みれば、行ったということが分かれば十分なのです。

【滞在6日目】
 午前中は OEJAB の本部を訪問し、先代および今代の代表の方とお話しする機会がありました。OEJAB の歴史や理念について直接お話を伺うとともに、社会に貢献していくにあたっていかに振舞うべきかのお話をすることができました。
 午後は丸々自由行動の時間になりました。本当のことを言うとスロバキア等隣国を訪れてみたかったのですが、大学に提出した誓約書の中に研修中の越境の禁止という項目があったこと、何より友愛本部から国外移動しないようきつく言い含められていたことから諦めました。代案としてバイクを借りて走り出そうとも思いましたが、やはり大学に提出した誓約書に自動車等の運転の禁止する項目があったこと、そして何より免許が間に合わなかったということで実現しませんでした。残念無念。できないことよりできることに目を向けたほうがよろしいの精神で、公道最速を目指し電動スクーターに乗り走り出しました。もちろんオーストリアの交通法規は予習済みです。無事故無違反であったことは強調します。無事故無違反です。

OEJAB 本部に展示された鐘の舌。
大聖堂再建時のもので(あると認識していま)す。
喫茶店で休憩。ケーキを2つ食べました。
ウィーンはあらゆるコーヒーに強めのリキュールが合わせてあって、
人によっては酔うだろうと思いました。
日本の LOOP より馬力もトルクもあってよいものでした。
写真には桜も写っています。
こんなにたくさん桜があるとは露も思わず驚きました。
書店の一角。
翻案された日本の漫画がかなりの面積をとって並べてられており、
日本の漫画が世界進出中というのは本当だったのだと実感がわきました。
SUSHI
食べはしませんでしたが、
現地風にアレンジされた日本食を食べるのも海外ならではの経験だったかもしれないと
後悔していないといえば嘘になります。

ステファン大聖堂近くで夕食。
ライトアップされた大聖堂を眺めながらいただくのも乙なものでした。
国会議事堂。
にわかには信じがたいですが本当です。きれいですね。

【滞在7日目】
 早朝に OEJAB にゆかりある方のお墓参りをした後、ほど近い位置にあるシェンブルン宮殿を一望できる丘に行きました。前日に中を見て回っていたので、これを上から眺めるとまた違った趣がありました。午前中は、オーストリア連邦首相府を訪問しました。難民受け入れに関する政府としての見解を詳しく伺うことができてよかったです。本研修を通じて、社会福祉に関する問題について社会の様々な立場の方からお話を伺い、多角的な視点からの問題を眺めることができました。
 午後は日本国大使館領事部を訪問しました。久しぶりに日本国の法律が適用されてなんだか懐かしくなりました。それはさておき大使館においてはオーストリア派遣中に感じたことを述べるとともに、外交を専門とする方の視点から難民問題についてお話を伺うことができ非常に興味深かったです。

画面中央左寄りのクリーム色の建物がシェンブルン宮殿。
写真ではなかなか伝わりませんが、かなり見晴らしの良く気持ちのいいところです。
弊学の卒業式がこの日に開催されていました。
参加できなかったのでこの写真を
このように加工してもらい、
卒業した風にしてもらいました。
オーストリア連邦首相府外観
日本国大使館領事部
中はスマホ持ち込み禁止ですので写真はなし。
立ち寄ったウィーン大学でも卒業コラ。
東北大学を裏切ったとかそういうことではないです。
夜は伝統的なワインバーでの食事。
おいしそうですね。

【8日目】
 ついに帰国の日がやってきました。数字で見れば8日ですが、濃密な、本当に濃密な日々で、2週間も3週間も過ごしてきたようにさえ感じました。メタ的なことを申し上げれば、ここまで書くにあたって記憶を掘り起こして文章にまとめてと続けてきましたが正直もう限界です。帰国後の報告記事は早めにコツコツ書くことを今後の課題として挙げておきます。
 さて、話を戻して今日は滞在最終日。出国の時間までオーストリアの土地、そしてお世話になった人たちとの別れを惜しみながら過ごしました。
 午前にベルヴェデーレ宮殿を訪れ、午後にはプラーター遊園地で昼食を摂るとともに観覧車に乗りました。
 利用予定だった、ウィーン市街地からウィーン空港へ向かう鉄道が機材トラブルのため利用できない等最後の最後で小さなトラブルはありましたが、無事に帰国することができました。ありがたいことです。

ベルヴェデーレ美術館外観。
これもご多分に漏れず宮殿。
宗教画ですね。そうですね。
世界最古の観覧車だそうです。
わりに大きい。
画面中央に虹。
オーストリアに道中安全を祈ってもらえた、
あるいはまたおいでと言ってもらえたように
感じて非常にうれしかったです。

 かなり濃密な日程だったため、復路はみんなお休みモードで、乗り換えのイスタンブール空港では大人しくしていました。私はと言えば、往路で利用した際に見つけたおみやげ屋さんにお邪魔して、いくつかトルコみやげを買いました。入国はこそできませんでしたが雰囲気だけ連れて帰りました。いつかちゃんと観光しに来たいと考えています。
 夜に羽田に到着した後、入国審査も無事に通り帰国。全体としては解散。あっという間の8(10?)日間でした。

24時間ほどを虚空に飛ばして帰国。
有志が集まり深夜2時だかのラーメン屋になだれ込みました。
失われた日本を補給した。ということらしいです。

 ダラダラとまとまりのない文を書き散らしてしまいましたが、今回の記事はおおむね以上です。
 今回の派遣の企画そのもの、関係諸機関との調整、あるいは現地での案内等、経済支援等々、今回の派遣の実現にあたっては本当に多くの方のご尽力がありました。これに深く感謝するとともに、いつかご恩を返せるよう日々励みたいと思います。ありがとうございました。 また、遊佐教授はじめ快く送り出してくれた研究室のメンバーに感謝します。
 最後に、ここまでお目通しいただいた方にも感謝申し上げます。ありがとうございました。通信容量が無事であることを心よりお祈り申し上げます。

文責:M1 藤田脩椰(参加当時はB4)

【余談】
あてになるかはさておいて、初めてオーストリアに行った今回困ったこと、驚いたこと、予想通りだったことをいくつか書き残します。この記事も10年くらい公開しておけば誰か1人くらいは役立ててくれる人がいることでしょう。いてほしい。

・クレジットカード決済が主流
 これはよく言われていることではありますが、本当でした。自販機でさえもクレジットカード決済。ただしコインランドリや一部の露店・屋台は現金決済のみの場合もあるので現金の手持ちがないと困る場合もあります。
・知らない人でも結構話しかけてくる
 欧州でアジア人が比較的珍しいこと、私がおのぼりさん状態でキョロキョロしていたこと等原因はいくつか考えられますが、なんにせよ毎日1回は話しかけられました。お金を恵んでくれであったり、手に持っているエナジードリンクが50セントで激安だったんだぜと自慢してきたりとバリエーション豊かで毎日飽きさせませんでした。しかし他の参加者の様子を見ると無視が正解のようです。私がいなし方を習得するより先に他の参加者が慣れてしまい、手を引いて引きはがしてくれるようになりました。
・知らない人と目が合っても目をそらされない(ことが多い)
 日本で知らない人と目が合った時、大体は目をそらされると思います。しかしオーストリアでは、ニッコリ笑ってくれるかあるいは話しかけてくれる方が多かったです。うれしい。いつかトラブルに巻き込まれるのでしょうか?この行動の是非に関しては強いて述べないことにします。わからないので。
・駅に改札がない
 これには驚かされました。改札がない代わりに、鉄道を利用する際は、〇日乗り放題チケット的なものを購入する必要があります。これを携帯しないまま鉄道を利用しているのを巡回の車掌さん(?)に見つかるとかなり高い罰金を取られるそうです。実際に罰金を取られている人を見ました。くわばらくわばら。
・コインランドリは壊れかねない
 オーストリア関係ないだろと言われれば全くその通りなのですが、書いておきたい。コインランドリは壊れかねない。寮のコインランドリに男子4人で下着等を投入しコインを入れ、さあ洗濯が始まるぞというときに壊れました。壊れるくせにふたのロックだけはしっかりしており、洗濯は始まらないのに取り出せもしないという状況が発生しました。当時、手持ちの下着をすべて投入しており翌日以降の下着を全て喪失する憂き目にあった方がいます。私ではありませんが念のため。リスクは分散させましょう。
・レンタル電動スクーターはあんまり普及していない&結構高い
 楽しくはありましたが、変に目立ちもしました。現地の方でスクーターに乗るような方は自前のものを持っていました。私たちが利用したのは完全に観光客向けかつ観光客価格でした。1時間程度で3000円弱請求され一瞬驚きましたが、楽しかったのでプライスレスです。目立ってもいいよ、という方は是非お試しあれ。楽しいので(3回書きました)。
・外車が外車じゃない
 何を言っているんだとご指摘が入りそうですが、要は日本で高級外車と呼ばれるようなメーカーの車もそこらじゅうを走り回っているということです。ベンツも BMW も Volkswagen もゴロゴロしていました。逆にトヨタやホンダといった国内メーカーを見ると安心しました。心なしかプリウスやクラウンといった高級路線が多かったようにも思います。
・路駐は当たり前
 大通りはそこまででもないですが、一本小さい路地に入るとそこは路駐の嵐。思い返してみると駐車場の類をあまり見なかったので、幅の広い道路を駐車場代わりに使っているのではないかと予想しています。オーストリアで車を持たざるを得ない状況に陥ったときのために縦列駐車を練習しておこうと思います。
・eduroam が使える
 使えます。高等教育・研究機関において国際的に相互可能なローミングサービスという趣旨を考えれば当然といえば当然なのですが、ウィーン大学でふと携帯を確認したときに eduroam が認識されているのに気づいて少し感動しました。
・野良のつくものがいない
 野良犬野良猫の類を一匹を見ませんでした。街中でも郊外でも。向こうで見た動物はリスとムササビぐらいのものです。かわいい。しかしげっ歯類は得てして狂犬病キャリアである場合がありますので、噛まれないよう注意しましょう。なんの情緒もない注釈ですがご容赦願いたい。
・ご不浄が有料
 駅等公共性の高い施設内のそれでも有料でした。有料であるのは百歩譲って良いにしても、現金しかも小銭しか使えない場合が多く、手持ちがないときは少々困ったことになりかねません。現金を持つなら小銭。
・荷物が出てくるのに時間がかかる場合もある
 帰国した際、飛行機に預けていた荷物が出てくるまで2時間以上待たされた方がいました。空港(飛行機?)の中で何が起きていたのかはわかりませんが、〇時に着陸だから1時間後に新幹線に乗って...という詰めたスケジュールはとらないほうが無難なんだなと学びました。

体調不良による体温低下のため12人分の外套をかけられることになった方。
十二単とはまさにこのこと。

今度こそ本当に、以上です。乱文長文失礼しました。

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