Facility

園内案内

施設案内

利用にあたってのお願い

  植物園は天然記念物「青葉山」に指定されています。貴重な自然を保護し、いつでも気持ちよく利用できるように、利用の際には次のことを守ってください。

  1. 動植物を大切にしましょう。
  2. 山火事に注意しましょう。
  3. ゴミは持ち帰りましょう。
  4. 野生動物の行動に悪影響を及ぼしたり、他の入園者の迷惑になることはやめましょう。
    • ペットを連れて入らない。
    • 楽器演奏、大声などを出さない。
    • 酒類を持ち込まない。
    • スポーツなどを行わない。
  5. 園内の注意事項や係員の指示を守りましょう。

  なお、当園は自然植物園です。様々な植物や動物がいますが、人間にとって危険な生物もいます。散策には十分注意して下さい。

≫ 危険生物情報はこちらへ(PDF)

本館展示

仙台城二の丸のスギ(展示場所:本館玄関)

仙台城二之丸のスギ

  仙台城の二の丸には、外郭に沿ってスギ(Cryptomeria japonica)が植えられていました。本館玄関ホールに展示されている円盤は、1966年(昭和41年)の落雷で倒れたものです。このスギの樹齢(年輪)を数えると330(年)あります。これをさかのぼると、伊達政宗が逝去した1636年(寛永13年)にあたります。
  スギは現在27本が残っており、14本が国指定天然記念物範囲内に、残る13本が指定地外にあり、これらは仙台市指定天然記念物に指定されています。

花粉画と電子顕微鏡写真(展示場所:本館玄関ホール)

花粉画と電子顕微鏡写真

  養蜂家故高田武雄氏が描いた花粉画と同種の花粉の電子顕微鏡(SEM)写真を展示しています。これら展示されている花粉画は、氏の甥である長谷川忠雄氏より平成14年に本学植物園に寄贈されたものの一部です。実際に、両者を見比べることで、氏の優れた観察眼と精緻な描写力を伺い知ることができます。

ヤナギ属のさく葉標本(展示場所:本館玄関ホール)

ヤナギ属のさく葉標本

  当園では匡内外の各地から集めたヤナギ科植物190種、約1,000点を栽培していますが、これらの中には学術上貴重な株(基準株)が多数あり、世界的なヤナギ園となっています。当園では、これら貴重なヤナギの系統を保存し、さらにより多くの種類を集めて研究や教育に備えています。

園内の自生植物目録とさく葉標本(展示場所:本館玄関ホール)

園内の自生植物目録とさく葉標本

  現在、当園には42種・2変種のシダ植物、619種・4亜種・13変種・11品種・3雑種の種子植物が自生していることが確認されています。
ここには、その自生植物目録と園内で多い樹木20点のさく葉標本が展示されています。園内では、これらの植物を自然状態で観察できます。

樹木標本と木材構造(展示場所:展示ホール)

樹木標本と木材構造

  園内に自生する数種の樹幹の標本を展示しています。また、これらの展示されている樹木の切片の顕微鏡写真を合わせて展示し、各樹種の木材の構造について解説が添えられています。

冬虫夏草コレクション(展示場所:展示ホール)

冬虫夏草コレクション

  冬虫夏草とは「冬虫夏草菌」が昆虫に寄生した“きのこ”です。特定の昆虫に特定の菌類だけが寄生する著しい「奇主特異性」で知られています。冬から夏にかけて虫が草へと変態する珍奇な現象として古くから注目を集め、滋養強壮、鎮静、鎮痰に効果がある漢薬として珍重されてきました。
ここには、矢萩信夫氏が30余年にわたって収集した冬虫夏草コレクションの一部を展示しています。

昆虫標本(展示場所:展示ホール)

昆虫標本

  昆虫は知られているだけで100万種、未知のものを含めれば300万種以上とされるほど、陸上で最も繁栄した生物群です。昆虫は、植物を餌や住みかにします。植物は、昆虫を花粉や種子の運び手として、また食害昆虫から身を守るために利用しています。ここでは、『花に集まる昆虫』、『植物を食べる昆虫』、『植物と昆虫』について展示しています。

天然記念物「青葉山」の生態系(展示場所:展示ホール)

天然記念物青葉山の生態系

  日本の植生、青葉山の森林の構造,森林生態系と食物連鎖について展示,解説がされています。また,青葉山で実際に見つことのできる動物や樹木の展示もなされています。

ヤナギ園とヤナギ館

ヤナギ園・ヤナギ館のあらまし

  1958年(昭和33)に東北大学理学部附属植物園が仙台市川内、通称「青葉山」に開設され、初代園長に木村有香博士(当時、生物学科教授・植物分類学講座担当)が就任しました。同博士はヤナギ科植物を専門に研究し、沢山のヤナギを蒐集して生物学科の実験園(当時、仙台市片平)に栽植しました。植物園の園内整備が一段落した1961年頃より、それらの一部を植物園に移し、管理するようなりました。
1963年に同博士が退官、1964年に同博士が蒐集したヤナギ科植物の標本や資料を収納する“ヤナギ科植物標本館(通称:ヤナギ館)”が植物園敷地内に建設され、同博士はそこで研究を続けることになりました。このヤナギ館の建設が具体化した頃より、それを中心としてヤナギ園を造成しヤナギ科植物研究の拠点にする計画を立て、生物学科の実験園よりヤナギの移転を進めてきました。

ヤナギ園・ヤナギ館のあらまし1960年代

1960年代

  1965年に第1柳園2300㎡、1966年に第2柳園1250㎡、1986年に第3柳園1350㎡を整備し、それらの栽植をはじめました。1965年に生物学科の青葉山への移転が最終決定し、1969年に移転したが、その間に生物学科の実験園にあった全てのヤナギを移転しました。1973年に第1柳園を再整備し、新たに第4柳園1050㎡を整備して環境が悪くなった第2および第3柳園のヤナギを移植し、また国内外からの受入体制を整えました。

ヤナギ園・ヤナギ館のあらまし

1970年代

  1974年にヤナギ園目録第1版を出版、これにはヤマナラシ属、ケショウヤナギ属、ヤナギ属合わせて102種(亜種、変種、品種を含む)が記録されました。
  1975年頃よりチェコのブルノー樹木園、カナダの国立標本館をはじめ、国内外より多数のヤナギを受入れ、また、同博士も積極的に採集を続けました。

1980年代

  1980年にヤナギ園目録第2版を出版、これには新たにオオバヤナギ属が加わり139種が記録されました。1996年の目録には、新たにカミコウチヤナギ属が加わり186種が記録されました。また、これ以外にも名称未決定のヤナギが沢山栽植されています。

現在

  現在3350㎡のヤナギ園に約600株、500㎡の鉢場に約550鉢のヤナギを栽植しており、今も国内外から積極的に蒐集を続けています。また、国内外の研究者等への提供も続けており、それらを用い発表された論文も数多くあります。
  当目録の学名は寄贈者または採集者の付けたものを出来るだけ尊重しましたが、慣用されていないものもあるので分かるものにはそれらを併記しました。

ヤナギ科植物の寄贈者または採集者(敬称略)

赤井/G.W.Argus/浅井修/東隆行/R.de Belder/Bordeaux 植物園/J.chmelar/中馬千鶴/遠藤奏彦/Torku 大学植物園/五島和子/五島健雄/原寛/原松次/長谷川義人/畠中善称/服部静夫/久内清孝/堀野末男/浅尾重光/池谷裕行/猪股信行/石川栄之助/石川慎吾/H.C.Iturria/B.Johannes/片岡道夫/川村文吾/木村 有香/木村中外/木村春男/北川賢二/駒嶺穆/宮内庁生物学御研究所/黒沢幸子/B.Lindquist/森弘/森 俊/邑田仁/邑田裕子/信州大学/内藤俊彦/中井秀樹/中沢信午/A.Neuman/根本智行/大橋弘/奥原弘人/大友敬雄/A.E.Ragonese/Responsable樹木園/佐渡登喜雄/斎藤清/酒井昭/境秀紀/坂巻マリ/坂崎信之/佐藤良雄/里見信生/沢口滋/庄子邦光/外山三郎/須田裕/菅谷貞男/鈴木三男/高橋秀樹/高橋秀男/遠田宏/立石庸二/富樫錦吾/富樫誠/富山一郎/亘理俊次/八島光雄/中山三男/山城学/山谷邦昭/横内斉/吉田友吉/吉野博吉/吉山寛
〔お詫び〕古い頃のコレクションで寄贈者名が明確でないものはここにあげていません。

園内に残る史跡

蒙古の碑・正安の碑

蒙古の碑・正安の碑

  蒙古の碑は、1287年(弘安10年)に「陸奥州主」のために造立されたもので、1285年の霜月騒動で敗死した陸奥守・安達泰盛の供養のためと推定されています。正安の碑は、高さが4m近い、宮城県下で最大の碑で、1302年(正安4年)に40余人の講衆が、縁者の霊を弔うために造立したようです。蒙古襲来と同時期の造立であったため、蒙古の碑と呼ばれてきたようです。
  蒙古の碑は砂岩,正安の碑は粘板岩(石巻の稲井石)を取り寄せて造られています。
  石材の種類から、両者とも陸奥国府関係者が造立した可能性が高いと考えられています。これらの板碑(いたび)は子供の百日咳を治すのに霊験があると言われ,永く信仰されてきました。仙台城に取り囲まれる以前のこの地は,霊的な場所であったのかも知れません。

残月亭跡

残月亭跡

  残月亭は5代藩主伊達吉村が1710年(宝永7年)に建てた茶室です。御物見亭(おんものみてい)とも呼ばれました。ここには、かつて初代政宗真筆の「残月亭」の扁額が揚げられていました。この額の風雨による損壊を恐れた吉村が1714年(正徳4年)につくらせた複製(模刻)は、現在、仙台市博物館に保管されています。政宗時代の残月亭の場所および真筆の扁額の所在については、不明です。
現在は樹木が茂って見晴らしが悪くなっていますが、当時は、二の丸一帯を眺望できる場所だったのでしょう。この残月亭に通じる階段は、現在この写真の右奥にありますが、当時は写真真ん中の白い立て札あたりにありました。現在は大きなモミが道を塞ぐように立っています。

最上道

最上道

  仙台城築城以前、植物園付近は寺池でした。当時,寅ノ門あたりから植物園北門付近を経て愛子(あやし)方面に通じる最上古街道がありました。蒙古の碑はその道標でもあったといわれています。築城以後は政宗ゆかりの米沢や山形への間道であったようです。寺は、築城の際に城下へと移されました。

杉並木

杉並木
仙台御城下絵図(寛文4年)部分 宮城県図書館蔵 仙台城歴史散策(宮城文化協会)より転載

  1664年(寛文4年)の仙台御城下絵図では,二の丸の西側にスギ林が描かれています。1600年代末(元禄年間)の「肯山公造制木写之略図(こうざんこうぞうせいもくしゃのりゃくず)」でも二の丸の西側から北側にかけてスギ並木らしいものが描かれています。この一部と考えられる27本のスギが現在も生存しています。スギの大木の列は、蒙古の碑・残月亭から植物園記念館の裏まで続いています。この列にあった一本が1966年(昭和41年)8月の落雷により折れ、樹齢を調べた結果330年の年輪が数えられました。伊達政宗が死去したころ(1636年)に植えられたもののようです。この円盤は本館に展示してあります。なお、園内には他に1930~40年代に植えられたスギ林が2ヶ所あります。

堀切

堀切

  自然の地形(空谷)を利用して、さらに広げたものです。1856~1859年(安政3~6年)製作の「安政補正改革仙府絵図」には3本の堀切が描かれています。これを現在の地形図にあてはめると,本沢の3本の谷にあたります。堀切は竜ノ口渓谷側まで続いていました。これらは,仙台城の弱点である西側の防備を補ったものでしょう。

御清水(おすず)(非公開)

御清水(おすず)

  深沢の谷頭付近から湧き出る清水で,仙台城本丸の重要な水源でした。雨水は,青葉山層(礫層)を浸透して自由地下水となります。水は,東に向かって緩やかに傾斜する青葉山層と基盤岩(大年寺層)の境を浸透し,湧き出ています。仙台藩は,この清水を筧(かけい)を用いて城壁の下の水槽まで引き,酉ノ門から監視していました。石積みの水槽は現在も現存しますが,園の外縁部にあるので,園路からは見ることはできません。

御清水(おすず)