岩波書店「科学
2010年2月号

・「法廷における科学
  
科学グループ 本堂 毅
  
P.154-P.159
  (岩波書店許諾による
PDF版
・「プルトニウムの研究史」
  
科学グループ 平田光司
  
P.170-P.174
・「未来を“かたる”ことば」
  
法グループ 尾内隆之
  
P.187-P.191

2010
1219日(日)
法と科学の哲学カフェ
「合理性の衝突」

を開催しました.
開催報告は
こちら

日本物理学会2010秋発表原稿
法と科学の接点にみる科学教育の課題
本堂 毅,小林泰三,平田光司

 

日本物理学会誌2011年4月号
談話室
「JSSTS-4S合同国際会議開催記念・市民講演会
『社会のなかの科学: 21世紀の科学および市民の社会的責任』に参加して」
 
(物理学会許諾によるPDF版
 科学グループ 本堂 毅

東北大学高等教育開発推進センター紀要(2011)
法と科学の接点:科学を通して法を,法を通して科学を考える
科学グループ 本堂 毅
P. 95-P.100



岩波書店「科学
2011年9月号
特集「科学は誰のためのものか」
御用学者がつくられる理由
  (岩波書店許諾によるPDF版
  
STSグループ 尾内隆之
  科学グループ 本堂 毅   
P.887-P.895
・「
ファインマンが見た
  巨大装置の安全性

  (岩波書店許諾によるPDF版
  
科学グループ 平田光司
  
P.914-P.917

岩波書店「科学
2012年3月号
特集 科学の<限界>
住民ではなくリスクを管理せよ
STSグループ 尾内隆之
調麻佐志
P.314-P.321
 (岩波書店許諾によるPDF版

2012年7月号
「科学技術の不定性と社会的意思決定」
(岩波書店許諾によるPDF版)

 吉澤剛・中島貴子・本堂毅
  p.788-p.795



シンポジウム(日本物理学会・年会
「科学者の役割とは何か:不確実性の中での科学と社会」

 2012年3月25日(日)13時30分~17時
 
関西学院大学上ケ原キャンパス

内容説明:
大震災以降,社会の中での専門家のあり方が問われている.物理学会員も専門知識の生産者として,その知識の発信者として,あるいは市民の科学観に関わる科学教育を担う者として,社会的な位置を占め,その責任を負っている.
本シンポジウムでは,社会的意志決定における専門家のあり方について,社会との接点で実践と論考を重ねてきた物理学会員に加え,科学技術社会論の最前線で活躍している研究者,現役の医師の問題意識から科学と社会の問題を問うている法学者,科学政策論をテーマとする政治学者を招き,社会的意志決定における科学や科学者の位置・あり方を幅広い視点から議論したい.


プログラム:

座長:佐野雅己(東大理)

13:30〜13:35
趣旨説明 佐野雅己(東大理)

13:35〜14:00
「科学者の社会的責任の現代的課題」(講演抄録)
日本物理学会2010年3月号,同表題の記事オープンアクセス記事へのダイレクトリンク
藤垣裕子 (東大総合)

14:00〜14:25
「科学裁判における科学者の役割:専門家証人として考えたこと」(講演抄録)
講演スライド
本堂 毅(東北大理)

14:25〜14:50
「医学と倫理と法」(講演抄録)
講演スライド
米村滋人(東北大法)

休憩(14:50〜15:00)

座長:小林泰三(九大基盤セ)

15:00〜15:25
「社会が知りたい科学:科学の不定性」
講演スライド
平田光司(総研大先導)

15:25〜15:50
「社会の意思決定と専門家」
講演スライド
尾内隆之(流経大法)

15:50〜17:00
パネルディスカッション



科学技術社会論学会 第10回年次研究大会
日時: 2011年12月4日 9時〜9時30分、京都大学
B-2-1【オーガナイズドセッション
不確実な科学的状況と社会的意思決定:科学の現場から考える

オーガナイザー:本堂 毅(東北大学)

久利 美和(東北大学)
「科学の現場から
(1) 防災における科学と社会的意思決定」

小林 泰三(九州大学)、平田 光司(総合研究大学院大学)
「科学の現場から
(2) 科学技術自身の決定不定性と巨大技術」

本堂 毅(東北大学)
「科学の現場から
(3) 科学の適用限界と専門家」

尾内 隆之(流通経済大学)
「科学の不定性を前提とした民主的意思決定の可能性」



オーガナイズド・セッション趣旨
不確実な科学的状況と社会的意思決定:科学の現場から考える

オーガナイザー 本堂 毅(東北大学)

 裁判をはじめとする様々な社会的判断では,作動中の科学を含む不確実性の高い科学的知見を多くの場面で取り扱わねばならない.また,科学的妥当性(合理性)が確立されていると当該学界において見なされる場合であっても,その合理性が科学者集団(ジャーナル共同体)の「相場感覚」(小林, 2007)に基づくものであることに注意を要する.相場感覚による科学的合理性は,社会的判断に十分な厳密性を常に有するとは言えないし,同じ対象を扱いながらも,手法の違いによって分かれている学会間では,その相場観が大きく異なることもありうる(久利氏の講演を参照).また,仮に社会的意思決定を科学者集団の妥当性判断により直接的に行うとするなら,それは価値判断を伴う社会的意思決定を科学者集団が行うという点で,科学からの踏み越え(科学技術に対するシビリアンコントロールからの逸脱)とも言える.
 科学的不確実性にも,様々な階層がある.疫学的な記述が妥当性を持つような,すなわち狭義のリスク論が成り立つ領域においては, sound scienceの描像に基づく議論(たとえば,risk-benefit論)などが相応の妥当性を持つだろうけれど,Andrew Stirling の “Uncertainty Matrix” (Stirling 2007) における “uncertainty”, “ambiguity”, “ignorance”に該当する場合に,科学の名の下に狭義のリスク論に基づく議論を行うことは,Stirlingも指摘するように非科学的で妥当性がなく,むしろ社会に混乱と科学不信をもたらすだけであろう.
 非専門家が社会の側から科学技術の可否や対策などを適切に判断するためには,科学的合理性判断に潜入しがちな価値判断や,科学技術の決定不全性,科学の適用限界などを洗い直し,それらのメカニズムや問題を言語化する必要がある.これは,科学技術のシビリアンコントロールを行う非専門家のためばかりではない.科学者自身が,社会的意思決定の前提としての科学的知見の役割を十分理解せずに社会と関わると,その界面において様々な問題を生じてしまう(2011年にあっては説明を要しないだろう).社会が科学者に誤導されないと同時に,科学者が社会に誤導されないために,社会との界面における科学的専門知見の性質と役割について,科学と社会双方の視点による,より詳細な解析が必要とされている.
 そのためには,科学論としてのメタな立場から出発するばかりではなく,「営みとしての科学」の現場からの考察も不可欠になるだろう.科学者がどのように研究を進め,仮説を立て,未来を予測し,それを検証しているのか,科学研究を進める上での葛藤,社会的意思決定に関わる情報発信で生ずる問題なども含めて,現場の科学研究者自身が,自らをメタに観察し記述することが,これまで見過ごされてきた問題を明らかにするために有用となろう.

 本セッションでは最初に,久利氏が地学研究を踏まえた防災研究とそのアウトリーチ活動を行う中で気づき得た問題点について,特に不確実性を伴う知見の情報発信のあり方について報告と議論を行う.次に,巨大科学技術研究が必然的に内包する,研究という営み自体に内在する決定不全性について,小林氏が加速器研究などを例に報告する.次にオーガナイザーでもある本堂が,トランスサイエンス的な状況下での科学的合理性と社会的合理性の重なりとズレ,科学の適用限界を議論し,社会的意思決定を行う上で必要な,科学的知見の「脱構築」の必要性と問題点を議論する.最後に尾内氏が,上記の議論を踏まえた上での合理的社会的意思決定の可能性について,オーストラリアの裁判所で導入されている手法(コンカレント・エヴィデンス)との比較も行いながら政治学の視点から議論し,会場参加者を含めた討議を行う.

小林傳司, 2007: 『トランスサイエンスの時代』 NTT出版.
Stirling, A. 2007: “Risk, precaution and science; towards a more constructive policy debate,” EMBO reports, 8,309-315.