上記のアプローチの最大の利点が、画像に対して人間が示した「主観的(個人的)な」反応が、「客観的な」データとして得られる点です。このようなデータは、医療事故の回避に役立つ技術の提供を可能とする等、現代社会が抱える問題の1つである”医療分野の労働問題と医療事故のリスク上昇の懸念(後述)”に対して有効な技術開発の指針となりうると考えています。
通常、画像技術の開発段階において性能や性質の良し悪しの評価するには数値的な性能指標が用いられます。代表的な例としては解像度、信号雑音比、コントラスト…等が挙げられますが、いずれもこれらは「画素群に、どのような値が、どのようなパターンで格納されているか」を算術的に分析したものです。このような指標の活用は、画像技術を「客観的に」評価する、または、「数値的に」最適化することを可能とします。その一方で、臨床現場での実用において数値的指標に優れた技術が医師等のパフォーマンスを最大限に引き出しうるか?、と考えた場合には疑問が残ります。
この疑問を解決するため、被験者(医師等)に画像を閲覧するタスク(例えば、病変の発見)を課した認知実験を実施し、タスク達成の成績やアンケート・インタビューを通じた画像技術の「主観的な」も行われています。しかし、この場合でも、実験上ではタスク成績として現れなかった技術の内包する欠点(=長期間、臨床現場で実用されることで明らかになる事故発生リスク、等)や、アンケート等では顕在化しない無意識の効果は明らかになりません。脳科学的・心理学的なアプローチはこれらの技術の潜在的な特徴や性質を明らかにしうると推測されます。
本邦を含め、先進諸国では人口減少が深刻な問題になっています。これは医療分野を含め、各産業分野を担う高度技能者の人口密度が低下することを意味しています。このような情勢の中で如何にして現在の医療水準を限られた人材で維持するかは喫緊に迫った課題です。人口減少への施策として本邦政府はダイバーシティの促進を挙げていますが、本研究室でも同様の問題意識を保ちつつ技術開発を推進していきます。
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医療従事者の業務負荷の高さは多くの人が耳にしたことがある社会問題の1つです。医用画像から診断を行う業務(画像診断、読影)を主たる業務とする画像診断専門医(放射線科医)の業務についても例外ではなく、特に本邦は装置台数に比して医師数が少ないことから過重な労働負荷が発生しています。このような状況で懸念されるのが、病変見落としなどの読影エラーを始めとする医療事故/過誤の発生リスクの増大です。業務時間に対して読影する症例の件数が多い場合、当然ながら1つの症例にかける読影時間は少なくなります。これによってエラー発生リスクが上昇することは医師に通常時間/短時間での読影タスクを課した心理学実験を通じて明確化されているほか、日常の診療で発生した事故の分析を通じても1時間当たりの読影件数がある閾値を越したときにエラー発生率が上昇するとの報告が示されています。
↓↓画面上での視線追跡の例↓↓
※円形カーソルが視点に合わせて移動
画像を見た際の人間の反応を調べる場合、「画面上を視線がどのような軌跡を描いたか」は最も基本的、かつ、非常に重要な情報となります。視線の軌跡(=眼球運動)のデータを取得する装置・アイトラッカーを活用して医用画像を閲覧した際の医師等の眼球運動に関する先行研究が行われており、診断エラーの発生プロセスなどについての興味深い知見が得られています。これらの研究では「医師の眼球運動」自体が興味の対象ですが、本研究室では眼球運動を通じて画像技術の良し悪しを評価することを試みています。
fMRI(機能的核磁気共鳴画像法)では人間の脳内の神経活動の様子を非侵襲的に画像化することが可能です。脳は全身の感覚器官から情報を受信し、それらを分析する役割を担っています。この働きを医用画像を使った診療行為について考えた場合、まず、目から取得された視覚的な信号が処理されることによって脳内に画像の情報が展開されます。そして、その情報に対して画像を見た人物の保有する記憶(医学知識や実務経験)に基づいた分析が行われ、最終的には、診断結果などの何らかの意思決定(decision making)が下されます。ここで、脳の働きに関しては機能局在(=「脳がもつ各機能は、ある特定の部位が担っている」)という考え方があります。これによって、例えば、医師が画像Aを見た時の脳活動の状況と画像Bを見た時の状況が異なった場合「脳内では異なった処理が行われている」と推測することができます。また、熟練医と経験の浅い医師の脳活動の違いや、長時間の画像診断業務によって脳活動の低下なども観察した知見があります。これらの画像を見た際の脳活動の変化から、「人間の機能」自体ではなく、「その機能が発生する/しないの原因」となる画像の性質や特徴を評価できると考えています。
前述の視線追跡の応用と同様、上記のような人間の脳活動を通じた画像評価の研究として、画像支援下手術のX線透視画像の画質と脳活動の相関を調べています。 被験者に画質の良い/悪い画像を呈示した際の脳活動を計測・比較することによって画質に関与する脳内の神経基盤を明らかにし、その知見から医師等にとって望ましい画質がどのようなものかを明確化できると推測しています。また、今後は、X線CTなどの診断画像についての拡張も考えています。
https://genderedinnovations.stanford.edu/
ジェンダード・イノベーション(GI)は、科学史分野の歴史学者であるシービンガー博士(スタンフォード大)の活動を中心として2000年代に誕生した概念であり、「生物学的な性(Sex)、または社会的な性(Gender)の差への配慮によって新たな技術を生む出すこと」を指します。私たちの身の回りには様々なジェンダー・バイアスが存在しています。これは科学技術においても同様で、例えば、「男性には効くが、女性には健康リスクがある薬」や「女性医師には男性医師と同じようには使えない手術器具」などが当たり前のように存在しています。これらを取り払い、より良い科学技術を生み出すためにもGIの推進は重要です。先進国では人口減少の時代に突入していますが、その中で社会を維持するには社会活動への参加や機会に関する性差を排除して生産性を向上することが必要と考えられています。特に医療分野は世界的にも”male dominance(男性優位)”な職業分野の1つであり、当該分野の性差の排除に向けて医工学技術の開発においてもGIを推進することが強く望まれます。