大学の研究室では、学生は最終的に博士号を取得して巣立っていくことになります。巣立つ先には、大学、産業界、国立研究所などがあります。そして、巣立った学生が大学において研究室を構えると、そこでまた新たな学生が育っていくわけです。逆に捉えると、笠田研究室に到るまでは連綿と続く師弟関係、いわば地知の系譜が存在しているわけです。
先日、笠田の博士課程での指導教員にあたる木村晃彦先生(京大)が定年退職されたことを機に、この笠田に到るまでの知の系譜を調べてみました。笠田的には大変良い内容になったと思っていますので、ここに公開させて頂きます。
笠田に到る知の系譜は、西欧における大学のはじまりまで遡ることができました。このあたり、流石は東北大、そして金研の研究室の系譜であることを改めて知ることになりました。特に、19世紀に化学から冶金学に展開していく頃にはビッグネームの研究者(リービッヒとタンマン)も見られます。また、更に遡ると、あの「オッカムの剃刀」のオッカムまで繋がっていることがわかりました。
今回、師弟関係を遡ることによって、笠田研究室に到るまでの学問の発展のひとつの側面と系統が良く理解できました。また、それを踏まえて、今後の学生に伝えていくべき事柄についても改めて考えることができました。我々は、まさに巨人の肩の上に立つものであり、更なる積み重ねのために強固な基盤を構築していくことの大切さを知ることとなりました。