(特に配属があまりうまくいかなかった)量子サイエンスコース配属の2年生諸君へ

三連休明けの早朝、関西の自宅から仙台に戻る機内にて久々の更新です。

さて、当研究室が量子サイエンスコースの協力講座となっている本学工学部機械知能・航空工学科では、いわゆる3セメバリアを越えた2年生のコース配属が10月から決定します。希望通りのコースに進めず、中々折り合いをつけられない学生さんも居るかもしれません。真面目な学生ほど、自分が至らなかった点を反省している事と思います。ただ、私の経験上、この手の反省は時間をかけても同じ考えの堂々巡りで精神的にはツラくなるばかりですので、程々にした方が良いと思っています。反省を元に将来納得できるように「今が大切」という金研初代所長の本多光太郎先生のお言葉通りに前を向いて、新たな勉学に励んだ方がプラスになりますしね。

・・・と言ってもモヤモヤが消えない貴方に参考になるかどうかは分かりませんが昔語りでもしようかと思います。

私が本学工学部の学生だった30年前、工学部の入試は今のような学科毎の選抜ではなく、一括して800人以上が入学する仕組みでした(因みにその1割弱(?)はAO入試II期の前身となるセンター試験推薦という仕組みで、センター試験と小論文のような志望調書のみで合否が判定されるものでした。文系科目が得意だった私もその1人)。そして、2年生の後期が始まる前に今でいうコースに当たる規模の8学科(確か)の希望順を提出して、成績順に学科配属が決まる仕組みでした。私は子供の頃から核融合炉と原子力に興味があったので、量子サイエンスコースの前身の原子核工学科を第一希望としていました。設立以来暫くは工学部トップの俊英が集まっていたと言う原子核工学科も、当時はチェルノブイリの事故の余波が続き、第一希望者は定員の約1/4となる10人程度だったと記憶しています。この辺りは福島第一事故後の現状と少し似ているかもしれません(因みに私の頃の人気トップは電気・電子系で、日本の半導体や製品技術の栄光の時代を思い出します)。

そのような状況のため、特に成績を気にする事なく希望の学科に配属された私がその後も勉学に励む訳もなく、部活に力を注いだ学部生活を送りました。学科での成績は第一希望勢がほぼトップ集団を占めていたのは明白だったのですが、私の成績はその第一希望集団の最後尾くらいだったと思います。そして四年生に進級する直前、研究室配属の時期がやって来ました。当時の原子核工学科の配属方法は、学生全員が量2に集まって調整するものでした。流石に成績の良い学生の希望は優先されて、その後希望が重なった学生は話し合いなどして決まっていったと記憶しています。私は片平キャンパスの金研の研究室のうち、核融合炉材料の松井研か、照射損傷基礎の山口貞衛研を希望していましたが、松井研の方は私より成績がやや良かった2名が希望していた事もあり山口貞衛研を選びました。現在の秋山研の前々身の研究室です。

山口貞衛研では、山口教授の卒論テーマ「酸化ニオブ単結晶のイオン照射効果」を選びました。ただ、どうにも実験結果が説明できないので、与えられた単結晶試料の方位などを調べていくうちに、どうも違う物質のようだと推定し山口先生に確認したところ、「スマンスマン、それ炭化チタンだ」と言われ、改めて酸化ニオブを与えられた次第。試されていたとしたら、凄まじい教育方針ですが(多分違う)、厳しくも温かい長谷川雅幸助教授(のち教授)や永田助手、高廣助手の指導のお陰で何とかそれなりの卒論となりました。

この間に有った8月の大学院入試では、我々の代の進学時から原子核工学専攻が量子エネルギー工学専攻に改組されるためか、それまでには無かった(と記憶している)「筆答免除」という仕組みが出現しました。成績上位者7名が対象となったのですが、私は勝手に対象となるだろうと決め付け、7月くらいまでヘラヘラしていましたが、結局対象者にならず、突如入試勉強することになったのでした。

その後突貫の猛勉強で挑んだ大学院入試には無事合格した私に対して、とんでもない知らせが飛び込んできました。松井研の(筆答免除の)同級生が、大学院からは山口研を希望しているので、山口研の2名のどちらかが松井研に移籍するようにとの当時学科長のA先生からのお達しです。成績上位者の意向が優先されるという事でした。この時点で四年生配属時の経緯も有り若干腑に落ちない所もありましたが、成績順と言われればそれまでですし、相方が長谷川助教授の下で企業との共同研究をバリバリこなしていたこともあり、試料取り違えが起こる程度のテーマの私が当初何となく希望していた方に移るのが順当と思い、自ら希望して移籍となった次第でした。

ここまでなら元鞘みたいな話ですが、この話には後日段が有りまして、3月の卒業間際に2次募集で合格した学生が山口研に配属されることになったとのニュースが飛び込んで来ました。成績で追い出される格好になった研究室に、自分より下位の成績の学生が入ってくるのは流石にオカシイんじゃないの?とA教授に直談判に行きましたが、「笠田君、世の中そんなものだよ」の一言で一蹴されました。既にアタマは次の研究室に移っていたので、移籍自体に不満は無くなっていましたが、やはりスジが通っていない事に対して、その返答はどうなのかと思い、シコリが残った会談でした。

今ではこの手のスジが通っていない話は無いような仕組み作りが進められ、配属に関してはフェアになっていると思います。その後、私が博士課程から京大に移籍し約20年在籍してから松井研の跡地に戻って来たことも考えると、やはり過ぎてしまった過去にこだわり過ぎたり、過去に思い描いた仮想の未来に縛られ過ぎず、やはり「いまが大切」とした方が良さそうだと思う次第です。

という事で、量子サイエンスコースに希望通り配属された2年生の皆さん、おめでとう。希望通りで無かった学生さんは、私や他の教員との出会いを通して、新たな希望を見つける事を期待します。先ずは授業や研修の他に、各研究室の見学を申し込んでみて下さい。幅広いテーマを扱う量子では、きっと何か見つけられると事と思います。笠田とは量子サイエンス入門や材料科学Iの授業でお会いしましょう!

※カバー写真は、コース配属となる2年生の頃の笠田

2 thoughts on “(特に配属があまりうまくいかなかった)量子サイエンスコース配属の2年生諸君へ”

  1. やはり過ぎてしまった過去にこだわり過ぎたり、過去に思い描いた仮想の未来に縛られ過ぎず、
    やはり「いまが大切」とした方が良さそうだと思う次第です。

    私も激しく同感です。
    それにしても、笠田先生まるでキムタクみたいにイケメン⭐️

    1. あら、マップさん、お久しぶりです。お元気ですか?そちらはクリスマス休暇に入ってますでしょうか?
      オークリッジに来月から関くんが3ヶ月派遣されます。何かあったら?宜しくお願いしますw

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