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地域に根ざした文化財の将来を目指して

姥沢遺跡について

村田町にある姥沢遺跡は、これまでに地元の方により表面採集されてきた資料から、縄文時代の早期・中期・後期と、弥生時代にまたがる重層的な遺跡であると考えられます。とくに縄文時代中期中葉から後期前葉にかけての遺物が多く、地形等から竪穴住居跡等の存在も想定できます。
東北大学埋蔵文化財調査室と大学院文学研究科考古学研究室は、村田町教育委員会のご協力のもと、縄文時代中期から後期にかけての居住形態の実態について研究することを目的として、2019年度から発掘調査(学術調査)を続けてきました。
姥沢遺跡が位置する村田町周辺地域において、縄文集落遺跡の発掘調査事例は多くはありません。村田町より南部の蔵王町・白石市における同時期の集落遺跡(菅生田遺跡・二屋敷遺跡)の発掘調査事例からは、往々にして関東や北陸系の土器が混ざり、敷石住居跡等の関東・中部地域の特徴が混在する様相が見受けられます。この様な状況を踏まえると、本調査成果は、村田町(宮城県南部)と遠隔地との地域間交流を考える上で、さらに重要な資料となることが考えられます。

調査の履歴

調査機関
調査主体
概要
リンク
2019.10.28-11.3
東北大学考古学研究室・埋蔵文化財調査室
計6区の調査区を設定。2区において中期末葉と推定される遺物包含層と土坑を確認した。また、6区では後期前半の遺物包含層も確認した。
準備中
2020.10.25-11.7
東北大学考古学研究室・埋蔵文化財調査室
昨年度検出していた遺物包含層などの確認調査を行った。それぞれの遺物包含層の詳細な時期を確認することができた。
『令和2年度宮城県遺跡調査成果報告会』PDF
※宮城県考古学会の許可を得て掲載
2022.3.20-3.31
東北大学考古学研究室・埋蔵文化財調査室
2021年度の調査では6区後期前半の遺物包含層のさらなる調査を行った。その結果、この遺物包含層は状態良く遺存しており、J20区では炭や遺物を多量に含む土層を確認し、また東北大学東北アジア研究センター(「最新科学による遺跡調査ユニット」代表:佐藤源之先生)の協力を得て、地中レーダー(GPR)による調査も実施した。
準備中
2022.10.23-11.4
埋蔵文化財調査室・東北大学考古学研究室
2022年度の調査では、6区遺物包含層上部の広がりを確認するために、J20区を中心として調査区を設定した。その結果、この遺物包含層の北端を確認することができた。しかし、この遺物包含層からの遺物出土量が多いことから、包含層全てを掘り下げることはできず、来年度掘り下げることとした。
『令和4年度宮城県遺跡調査成果報告会』PDF
※宮城県考古学会の許可を得て掲載
2023.9.1-9.12
埋蔵文化財調査室・東北大学考古学研究室
2023年度の調査では、丘陵上面部において遺構を確認することと、これまで調査してきた遺物包含層を掘り下げることを目的とした。その結果、上面部では遺構を確認したが、出土遺物が少ないため時期比定が難しい。そのため、今後慎重に遺構の性格を検討する必要がある。下面部では、狭い面積ながらも主要な遺物包含層を完掘した。今後、その整理を通じて、包含層の詳細な時期や遺跡の性格等について検討したい。
『令和5年度宮城県遺跡調査成果報告会』PDF
※宮城県考古学会の許可を得て掲載

現地説明会

開催日
場所
概要
2020.11
姥沢遺跡
地権者や周辺の住民の方々への遺跡説明会
2022.3
姥沢遺跡
地権者や周辺の住民の方々への遺跡説明会、25名の参加があった。
2022.11
姥沢遺跡
地権者や周辺の住民の方々への遺跡説明会、36名の参加があった。
2023.9
姥沢遺跡
地権者や周辺の住民の方々への遺跡説明会、19名の参加があった。

フォトギャラリー

姥沢遺跡遠景

姥沢遺跡の遠景(左下が北)
写真中央やや右よりの畑が調査地点になります。
※写真をクリックすると拡大します

姥沢遺跡

これまでの調査区の配置

姥沢遺跡

2022年度調査区(左が北)
黒い土の部分が遺物包含層です。南西方向に向かって傾斜して堆積していました。

姥沢遺跡遠景

2022年度K20区の出土遺物の分布状況
黒い色の土層からは、縄文土器や石器、土製品などがまとまって出土しました。

姥沢遺跡

2022年度J20区から出土した土器
1つの土器が潰れ折り重なった状態で出土しています。

姥沢遺跡

発掘調査の様子
掘り出した遺物は出土位置が分かるようにそのまま残しています。

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