まず初めに自己紹介をお願いいたします
田中 博士号の学位は2014年に地域研究で京都大学から取得しました。現在は、東北アジア研究センターに所属しています。東北アジア研究センターは、いわゆる文系の文化人類学者、経済学者、歴史学者をはじめ、生物系、地質系、工学系などの理系の人たちもいるような研究機関で、東北アジアを対象とした地域研究を行っています。私の専門は文化人類学で、極北のロシア、シベリアでフィールドワークと研究を共同で行うプロジェクトに関わってきました。最も寒い時期でマイナス50度にもなるシベリアで、地球温暖化に対する環境変動の中で、現地の人がどのようにおりあいをつけながら生きていているのかを調査させてもらっています。
私自身は2007年からアフリカ、エチオピアの特定地域を対象に調査しています。農学と文化人類学をベースに、牛を使って畑を耕す「牛耕」と呼ばれる農耕民の実践を研究テーマにしてきました。フィールドワークは、現地の人たちと衣食住を共にしながら調査するのが文化人類学のやり方なのですが、彼らと生活をする中で、私が日本から持ち込んだ地下足袋が彼らに衝撃を与えたことをきっかけに、履物研究の道も歩み始めました。
是恒 東北アジア研究センターで学術研究員をしています。元々、美術家、アーティストとして活動をしています。アラスカ大学フェアバンクス校で先住民芸術について、文化人類学的な研究ではなく、実際に作品を作る芸術の学科で勉強しました。その後アーティストとして活動しつつ山形県の東北芸術工科大学で、地域デザインの分野の修士課程を修了しました。現在は主に、捕鯨と鯨に関する文化をテーマにしていて、宮城県の石巻市の捕鯨や気仙沼市の鯨信仰、アラスカ先住民の鯨猟、最近ではニューヨーク州のアメリカ先住民と漂着鯨の関わりを調べています。世界各地の鯨に関する土地や文化へのフィールドワークで得たものを作品として美術館や芸術祭で発表するとともに、独自に小冊子をつくって流通させることで、鯨を通して世界的な文化のネットワークをつくるという活動をしています。
(是恒さんHP https://www.sakurakoretsune.com/)
東北アジア研究センターでは、災害人文学というプロジェクトに関わっています。このプロジェクトは、東日本大震災を経験した人文学系の研究者たちにより、それまで行ってきた基礎研究が、東日本大震災のような災害に対してできることが少なかったという反省をふまえて発足しました。災害に対して応用的に使えるような研究として、例えば民俗学との協働で郷土芸能に関わる道具などを、3Dスキャンを使ってデータとして記録保存し活用します。私は、さまざまな映画監督が作った東日本大震災のドキュメンタリー映画を検証し、今後の防災意識を高めるために活用していくプロジェクトに関わっています。
甲斐 片平キャンパスにある材料科学高等研究所に所属しています。ここに来る前は、有機化学や高分子などの研究をしており、学位は生物物理化学という材料と生物の相互作用を見る研究で取得しました。研究内容としては、一貫して新しい材料を化学的な手法で作成し、それらを特に生物と関係するような機能を探ることに興味を持っています。具体的には、微細な構造で特殊な形状を持つような材料を作って、それに由来する機能を探る。また、バイオセンサで生体情報を測定して、健康状態や病気の状態を測るというような応用も目指して研究しています。
材料科学高等研究所は材料を幅広く扱い、物理系、化学系、あるいは数学の研究者も在籍しています。時には異分野融合もしながら、様々な角度から最先端の材料研究をしていこうというミッションでやっています。
アンサンブルプロジェクトを知ったきっかけを教えてください
田中 私が2017年に東北大学に赴任した時、プロジェクトリーダーの高倉 浩樹先生に参加を勧められ、ワークショップに参加しました。その時、いろいろな人たちが集まるから好きなことを発表しようと思い、個人で進めてきたアフリカ研究を紹介しました。それが最初のきっかけですね。
甲斐 私は、本当に偶然で、その時青葉山キャンパスの工学研究科にいたのですが、食堂にご飯を食べに行ったらポスターが貼ってあって、面白そうだなと思って田中さんが参加していた同じワークショップをたまたま見つけて参加しました。
是恒 私はワークショップにまったく参加したことがなくて、田中さんに誘われてアンサンブルを知りました。
チーム編成の経緯は?
田中 ワークショップに出席した時、これは共同研究のお見合いだなと思いました。誰かと組めれば新しいことが始められるかもしれないと、間口を広く開きながらいろいろな人の発表を聞いて回りました。私からはなかなか声をかけられず、始めは来てくれる人としかコミュニケーションが取れず、すぐに組めるようなアイディアには結びつきませんでした。しかし、甲斐さんから将来一緒に何かできたら良いですねと声をかけて下さったのがきっかけで、甲斐さんが皮膚の研究をしていることを知り、足袋と接点がありそうだなと、ぼんやりと思い始めたのがきっかけでした。
甲斐 私は田中さんのお話を聞いた時、インパクトが非常に強くて、机上の空論ではなく、現地に入っていってプラクティスしているところに惹かれました。私が普段実験室でやっている研究を、そういう場に持ち込んでどういう相互作用が生じるか興味を持ちました。
田中 2017年は、私がこれまで専門にやっていた牛耕の研究を深める意味で、土壌学の先生と組んだ方がやりやすいと思い、イギリスの大学でアフリカの民族土壌学を専攻していた友人にも声をかけて、チームを組んでプランを出しました。無事採択され、調査もおもしろい発見があり、学会発表で高い評価を得ることができました。しかし、肝心の土壌を日本に持ち帰る手続きに失敗するなどの問題に直面しました。そのため、2018年の2回目のアンサンブルの挑戦では、その当時個人研究で勢いにのっていた地下足袋研究をベースに、新しいテーマを発展させてみようと思いました。その時、東北大学にいる人たちの中で一緒に何か面白いことができそうな人として甲斐さんがまっさきに思い浮かびました。2017年のアンサンブルワークショップで知り合った後に、アカトークというイベントでも甲斐さんの話をさらに深く聞けたのも大きかったです。あと以前2014年にイギリスのロンドン大学留学中に知り合った、疫学、公衆衛生学を専門にし、現在は経営学を専門に研究している井上雄太さんにも、昔から共同研究の構想はあったので声を掛け、この3人でチームを組みました。
甲斐 地下足袋に私が専門とするセンサを入れて組み合わせるということをフィールドワークでやりました。田中さんと一緒に昨年3月、エチオピアに行ってきました。
笘居 エチオピアでなぜ地下足袋なのか、そのバックグランウドをまず紹介いただいてよろしいでしょうか?
田中 エチオピアでの牛耕のフィールドワークでは、行ってみてまず私の問題に直面しました。地元の人は裸足で畑に入るのですが、私が彼らのように裸足で入ろうとすると足が痛くて入れません。そこで革靴や長靴を履いていくと、今度は泥の土にはまってしまい身動きがとれません。初日は彼らに背負ってもらい何とか畑に入りましたが、単なるお荷物となってしまいました。これではいかんと、現地にある履物、長靴やサンダル、革靴などをすべて試してみましたが全部ダメでした。そんなとき、靴下ならいけるかなと思いつき、現地での靴下での作業によるタブーなどないか皆に確認をとって試したところ、痛みなく、土のなかを身動きとることができました。しかし2時間でやぶけてしまうという弱点もありました。最初の年に7足履きつぶすと、彼らはまたお金が破けたと、皮肉るので、これはいかんと思いました。
調査対象地域には基本的には「外部のものを多く持ち込まずに、現地と学ぶ」というスタンスをとっていましたが、調査のためなら、と自分に折り合いをつけたうえで、翌年に日本の地下足袋を持ち込み、使ってみると、2時間で破ける靴下に対し、地下足袋は革で補修をしながら3ヵ月も履けることができました。地下足袋のおかげで牛耕の調査が痛みなくできるようになり、その調査をもって、牛耕に関する博士論文を書き上げることができました。当初地下足袋は、私自身の単なる調査道具で、終わると当初は思っていたのですが、履いていた時の、彼らとのやりとりが、だんだんおもしろくなっていきました。こんな良い履物があるなら俺たちにもよこせとか、貸してみろという声と関心が日増しに大きくなりました。そこで、試しに翌年日本から10足持ち込んでみると、これまであからさまに物が盗まれることなどなかったのに、4足も盗まれてしまったというショッキングな出来事もありました。残りの6足を履いた人たちもそれを履きながら牛耕をするようになっていきました。彼らから、裸足での牛耕だと怪我もするし、破傷風にもなるので、これを履きたいと強く訴える声も出始めました。そんな中「私達の足だって柔らかいし痛い!」と怒鳴られた時に、まるで雷に打たれたような衝撃がはしり、私だけでなく彼らの足も痛かったのだということに「はっ」と気がついたのです。そして、この日本の伝統的な履物地下足袋は、私の足を護ったようにアフリカの人たちの労働時の足を守る武器になる可能性があるのではないかと私は考えるようになったのです。
笘居 田中さんが行かれていた地域の畑は、日本の田んぼのようなイメージとは違って、土の質が全然違うのですよね。
田中 東アフリカ特有のバーティソルという土は、乾燥するとガラスの破片のように表面が鋭利になり、水を含むと粘り気が非常に強いという特性があります。そうした土性に対する牛耕作業には、地下足袋が有効だということが分かった経験と、現地で開発・普及を実践的に試みるという研究計画を2011年から学会などで発表してきました。契機となったのは、京都大学の第1回目の学際着想融合コンテスト1枚で伝えるイノベーションというもので、優良賞という評価をいただき、自信をもって地下足袋の研究を続けることができました。しかし、研究費に挑戦しても採択にはほどとおい評価が続きました。5回程さまざまな研究費の申請に落選し、6回目にしてようやく若手研究の科研費が採択されました。2016年から、「アフリカによる労働履物の創造に関する実践的地域研究:新たな地下足袋文化の探求」というタイトルで研究を始動しました。現地の人の助けも借りつつ、日本の地下足袋老舗企業の岡山倉敷の「丸五」にも、ご協力いただきながら、現地での製造・販売、宣伝の研究をはじめることができました。そのなかで、現地の人、素材、技術でできあがってきた地下足袋を私達は「エチオタビ」と名付けました。その研究を、若手アンサンブル第1ステージでさらに加速、おもしろくさせようと思い、甲斐さんと井上さんにはいってもらったという経緯です。
笘居 足の病気やケガなどの体調不良をうまくセンシングできないか、というのが動機でしたよね。甲斐先生の持っていたセンシング技術を地下足袋に応用しようと。
田中 はい。まさに、アンサンブルという土壌を通じて、ニョキニョキと芽生えてきたアイディアでした。第1ステージでは、エチオタビの研究を通じてできていた私とエチオピアの靴職人の間の信頼関係のベースの上に、工学研究者の甲斐さんが加わり、センサ付き地下足袋を製作しました。足底の荷重を測定するセンサを複数配置した地下足袋用インソールと、測定したデータを送信する無線発信機を収納するポケットを持つ地下足袋を、現地の皮革・靴職人の方々と甲斐さんと私でエチオピアのウォリソの工房で一週間、集中的に製作しました。また製作の前に、足を介して測定することが効果的と思われる疾病について、井上雄太さんを交えたディスカッションもおこないました。
私も甲斐さんもいろいろな学会でエチオタビについて発表するとけっこう好評で、足を守って測るという甲斐さんの技術と組み合わせた研究をおもしろがってくれました。中でも甲斐さんが所属しているJSTのCOI(Center of Innovation)のピッチで、これまでやってきたこと、これからやることをプレゼンした時の反応はすごく良かったです。一方で、アフリカの人たちも、これで自分たちの身体や環境のことが分かるようになるのかと、センサ付きの地下足袋をおもしろがってくれました。地下足袋自体をアフリカで売り出すのも良いですけれど、その可能性を広げる意味で研究を続けるために必死に発表し、みんなが喜んでくれて、面白がってくれたということで、さらに私自身のやる気にスイッチが入ってしまいました。
第2ステージはどのように発展させようかと考えていた時、甲斐さんと相談しながら2人を追加することにしました。1人は医学研究科の伊藤大亮さんですね。
甲斐 伊藤さんは運動生理学の専門家で、主に運動機能などの研究をされている方です。
田中 身体のセンシング部分の研究を深めようということで、伊藤さんにお声がけをさせていただいて、入ってもらいました。井上さんを中心に地下足袋の怪我の予防とマーケットを通じた普及を検討していくのみならず、根本的にこの履物がどういう表現の可能性があるのかを、アートの観点も含めて考えていきたいと思い、もう1人は、東北アジア研究センターの同僚で、以前から活動に強い関心があったアーティストの是恒さんにお声がけしました。
是恒 私も田中さんの活動を聞いていて、面白そうだなと思いました。私自身、美術家として活動していますが、現代美術における大きなムーブメントとして、アートと人類学の融合というか、アーティストと人類学者の境目がだんだん薄れてきている。アーティスト自身がいろいろな場所でフィールドワークをして、そこで得たものを作品として発表するというスタイルが増えていて、私の活動もそういう傾向がありました。例えばアーティストが地方に出かけて行って、そこで得た知見や体験を元に作品を作るのですが、結局それが発表される場所は都市の美術館などで、その土地の人たちには還元されないという構造が多くて、いつも疑問に思っていました。
自分自身も人類学的なことに興味はありましたが、美術家としてどう関われるかということをエチオピアで実践してみたいと直感的に思いました。そこで生活している人たちにとって、美術館は身近にないし、テレビなどもないので、私たちが得るようにいろいろなアートの情報を得ることはできない。そういう人たちの生活の中で、何がアートになるのだろうという思いがありました。アートを通して、現地の人たちと何かしらの視点を共有するというか、彼らが何をどう感じて生きているかをまず知りたい。それを共有するプラットフォームとして何かの活動をしたいと思いました。
初めてエチオピアに行って、まず首都のアディスアベバに2日間滞在しました。ちょうど現地に着いた日が祝日で、街中のあちこちにエチオピア国旗の色である、赤と黄と緑の三角形の旗がぶら下げられていました。その後、ウォリソの村に行く途中でも、町ごとに青や白の三角旗が掲げてありました。その日が特別な日であることを表す共通のシンボルであり、その風景がまず印象に残りました。滞在先の村の子供、大人たちと接する中で、皆で何か同じ体験を共有したいと思いました。これまでに現地で作られたエチオタビを展示するイベントをひらくことになっていたので、街で見かけた三角旗に見立てた三角形の紙をたくさん用意して、村の人にそれぞれ好きなものを描いてもらいました。すると、牛耕に使っている現地のコブ牛や、地下足袋、家の様子やコーヒーポットなどいろんなものを描いてくれました。2日間で141枚の絵が集まったので、それを庭に飾って村の人たちと一緒に作ったアートとして楽しみました。
日本の人たちにも、エチオピアの村がどんな所なのか、この時の絵を通して一緒に見てもらうことができると思います。地下足袋そのものもすばらしいけれど、それが作られてきた場所の暮らし、どういう人たちがどんな生活の中で編み出してきたのかというのも知ってもらえると理解が深まると思います。
共同研究の成果や苦労話を教えてください
田中 なかなか私自身の研究構想が認められず、研究費申請を採択されるまで時間がかかったというのが、最初の苦労話です。今最も苦労しているのは、現地で地下足袋を注文期間内に作ることと、ビジネスにのせるというところです。
首都アディスアベバから南西に100kmほど離れたウォリソ市周辺の村で調査をしているのですが、10年位前から付き合いのある、カッバラさんというウォリソ市で数少ない靴づくりの技術や知識をもっている友人と試行錯誤しなら作り始めることをしました。しかし、最初は作ったことがないことへの抵抗感か、やるよと口に出して言うけれど、なかなか行動にでない。4ヵ月通い続け、催促しても履物ができあがってこない。ようやく日本でも高く評価されるプロトタイプを完成させて自信がついたように見え、その後お願いしていても、なかなか彼らだけでは作らない。私が現場にいて、観察したり、励ましたり、ご飯を一緒に食べながら、プッシュしないと思うように進まないのです。
鈴木 現地で需要はあるのに、作る人はそれほど積極的ではないですよね。需給のバランスが取れていないのでは?
田中 そのとおりですね。私がカッバラさんと職人への謝礼と投資も含めて、一足日本円で1,000円程の値段で買い取ったものを農民と共有し、いろいろ改良を検討しています。現地の農民いわく、600円までしか出せないと、彼らなりの金銭感覚があって、今の段階では、この値段の調整をつけるのは簡単ではありません。実際には、600円では、なかなか作り手の儲けが少なく、積極的になれないようです。農民は私が提供すれば、大変重宝して使いますが、自ら積極的にお金を出して買ってくれる段階まではいっていません。
2018年度には販売と宣伝と合わせてあわせた調査として現地のメディアに取り上げていただきました。私自身は日本に帰国し、確認できなかったのですが、エチオピア国内で放送され、反響があったのか、Facebookに1,000人くらい友人申請が突然来たり、応援や批判の声などが一時的に集まり、手応えも感じています。実際に現地農民に買ってもらうには、まだ値段を下げるというハードルもありますが、そこは経営学の専門の仲間もこのチームの構成員の中にいますし、海外とつながれる私や仲間がいるということを武器にとりくんでいきたいと思います。将来的には100年後、私達がいなくなったあとの世代にも、世界の力を借りて根付いていくように、今は地下足袋のフィールドを耕していきたいと思っています。
制作に関する技術的な点に関しても、アウトソールの部分が剥がれてしまうという課題もあります。見た目はできているのですが、接着の圧着技術がまだ未熟で、雨が降ると接着が剥がれてきてしまうという報告を農民からうけています。100年の歴史を有する岡山県の丸五という地下足袋老舗会社にもさまざまな協力をいただいているのですが、根本的な問題は、接着剤の温度管理と圧着技術が上手にできていないということを教えてもらいました。また、ソールを縫い付ける方法もあるので、日本の職人を連れて行く、もしくはカッバラさんに日本に来てもらって、日本が培ってきた地下足袋制作の伝統技術と、文化にどっぷりつかってもらうことで、課題を解決できるようになっていってもらいたいと思っています。
甲斐 私の担当するセンサでは、現地で電子部品を調達できないので、日本で買って持っていったのですが、足りないときは現地では入手できないという苦労はありました。ちょっと足りないなというところはありましたが、何とか工夫して7セットはできました。現地のカッバラさんや職人さんたちと一緒に一個一個試行錯誤でセンサの配置や配線のパターンを変えながら作ったわけですが、そのプロセスを田中さんに通訳していただきながら、なんとか現地でセンサを内包した地下足袋を作製することができました。設計から現地の人と一緒にやったわけですが、そのプロセスがすごく面白かったですね。
是恒 今回エチオピアに行った目的の一つは、カッバラさんや職人と一緒に地下足袋を作ることだったのですが、現地の人たちとコミュニケーションを取る中で、日本のやり方をそのまま持っていってもうまく行かないということが肌感覚で分かりました。現地の人たちが簡単に作れるように地下足袋のデザイン自体を考え直す方向もあったのかなと思います。日本に帰ってきてから、協力してくれている丸五のお店に行くと、アウトソールを圧着する以前の日本の古い足袋で座敷足袋というものが展示されていました。それは、糊を使わず糸で並縫いをするようにソールを足袋の側面に縫い付けて作っている技術でした。これをうまくデザインに組み込めたらカッバラさんもより簡単に作れるのではないかと思います。あとは、アウトソールを手作業で切り抜くことも、子供たちやシングルマザーの女性など、時間がある人が仕事としてもやっていけるのではないか。地下足袋作りを職人的な仕事にしていくという方向もあるけれど、コミュニティの中でみんなで作っていく方向もあり得るのかなと思っていて、その実践方法も考えながらまたエチオピアに行きたいと思っています。
笘居 田中さんは、エチオピアの滞在日数、積算するとすごく長いのですよね?
田中 2007年からの研究に関する渡航で、1,165日ですね。20回研究で行き来しています。以前は1人きりでやっていたフィールドワークが、アンサンブルのおかげで仲間とともに行けるようになれたことが喜びでもあり、新たな挑戦の段階に入ったと実感しますが、いろいろ調整したり、フォローしたりと苦労もあります。でも、1人よりやれることは格段に広がっているので、今はその醍醐味と喜び感じながら進められています。
笘居 「文化人類学者は、現地では透明人間であれ」という従来の立場があると田中さんはおっしゃっていましたが、「実践する研究者」というスタンスは、かなりそれとは違いますよね。材料研究では、物を観察するときにできるだけその状態を壊さない形でありのままを見るというアプローチと、それとは逆に、電圧を加える、光を当ててみる、といった外的因子を加えて、どういう反応があるかを見ることで材料の本質を捉えるというようなアプローチがある。田中さんの研究は、従来の文化人類学とは異なり、地下足袋、芸術、テクノロジーなどの外的因子を与えて現地の変化を見ていく、チャレンジングなアプローチだと感じます。
田中 私は文化人類学も学び、従来の立場を尊重する立場でありますが、人類が直面してきた飢餓や食糧問題をどのように解決するかという志で発展してきた農学畑にもいました。ですので、私は人間が、現地が直面する課題を解決するために積極的に関与する立場でもありたいと考えています。さまざまな人たちと対話しながら、現地とも対話しながら、ともに試行錯誤しながら歩みを進めていていきたい。長期的なスパンで実践していることなので、年月はかかる取り組みではありますが、将来的には成果として、このような取り組みを学問として体系化したいと考えています。試行錯誤しながら、時間をかけてさまざまな人達と、新しい学問を導き出す1つの事例にしたいです。
笘居 今、田中さんの所属している分野全体としても、新しい道を模索している状況があるのですね。
田中 そうですね、今やっていることが、フィールドワークを武器とする地域研究の1つのおもしろい道であって、歩みになるということを見せたいですね。
アンサンブルプロジェクトに対する感想をお願いします
是恒 アンサンブルプロジェクトを通して、いろいろな分野の人が集まって一つのプロジェクトに関わることの面白さや醍醐味を知りました。分野に縛られているとすごく視野が狭くなるし、その分野での中の価値基準がそれぞれあるわけで、また他の分野からすると「あなたの分野はこうでしょう」という偏見もよくあります。それを超えて、自分たちが本当は何を研究したいのか、世界をどのように見たいのかというような、思想レベルのことも共有できるきっかけになるし、それ自体がそれぞれの分野を見つめ直すことにもつながる。根本的なところから新しいものを作ろうとするきっかけにもなるのかなと、経験して思いました。
甲斐 いろいろな人がいろいろなテーマで話してディスカッションするということは、すごく面白いなあと思います。それで、新しいものができたならば、なお面白いといつも感じています。もう少し頻繁にこういう機会があっても良いのではないでしょうか。
私はまだ東北大学に来て5年で、お会いしたことのない方もまだまだたくさんいますが、東北大学には文系・理系幅広い分野の人材がたくさんいることを実感しています。こうした分野の垣根を超えた交流や研究は、大学の強みになると思います。
田中 私は、たぶんアンサンブルプロジェクトがなかったら、東北でのわくわくする仲間もできかなったでしょうし、生活はとても狭いものになっていたと想像します。そのような意味で、いろいろな機会をいただいたということと、仲間とおもしろいことが進められていることが、アンサンブルプロジェクトへの最大のお礼と感謝であるとともに、私の最大の財産です。そして、感謝で終わらせることなく、ここからが始まりだと思っています。これからいただいた機会をどうやって発展させていくか、自称アンサンブルプロジェクト、そして第3ステージへと呼んでいるのですが、私達は新たな一歩を進み始めています。
アンサンブルプロジェクト自体はお互いの研究や人柄を、ちょっと長く自己紹介するような時間でもあったと思います。これをきっかけに、私達はエチオピアで一緒に仕事ができたので、その経験を大切に、お互いを伸ばしていけるような付き合い方、切磋琢磨ができるような関係をこれからも作っていきたいと思います。私は、京都の龍谷大学へ異動してしまうので、仲間とは距離的に、離れてしまいますけれど、アンサンブルプロジェクト本体に関わった人間として、これからも、かけつける形で、今後の発展に関わっていきたいと思っています。