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NanoTerasu(ナノテラス)への期待

2023年5月、G7仙台科学技術大臣会合が仙台市で開催されました。今回の大きな目玉となったのが、東北大学・青葉山新キャンパスに建設中の次世代放射光施設「NanoTerasu(ナノテラス)」です。2024年度の運用開始を目指しており、G7では各国の大臣たちが視察に訪れました。このナノテラスには、世界からどのような期待をもたれているのでしょうか。また今後、私たちの生活にどのように影響してくるのでしょうか。建設にあたり企画から携わった国際放射光イノベーション・スマート研究センターの高田昌樹教授、ナノテラスを活用し「食」の未来を研究する農学研究科では原田昌彦教授に、お話を伺いました。

[インタビュー] 国際放射光イノベーション・スマート研究センター 高田昌樹教授

ナノの世界が未来を照らす

「ナノテラスは、青葉山新キャンパス内に東京ドームほどの大きさで建設中の、世界最高水準の分析機能を持つ次世代放射光施設です。今年度中に完成し、2024年度から運用が始まる予定です。
「放射光」とは、光速に近い速度で走る電子の軌道を磁石等で曲げたときに発生する非常に明るい光のことで、その明るさは太陽光の10億倍以上もあります。ナノテラスは、この高輝度・高指向性の光を使ってモノの構造や機能をナノ(10億分の1)レベルで可視化できる“巨大な顕微鏡”。その名前には、物質のナノの世界を明るく照らす光という意味と共に、世の中を照らす日本神話の天照大御神(あまてらすおおみかみ)のように、ここで得られた知見や成果が世界に豊かな実りをもたらしてほしい、という願いも込められています。
現在、世界には約50の放射光施設があり、中でも日本の兵庫県にある「スプリング・エイト(SPring-8)」は、供用開始から25年経った今も物質の構造解析を得意とする硬X線の領域でトップクラスの性能を誇っています。ただ、物質の機能理解に結びつく次世代型の軟X線領域では日本は世界に後れをとっていました。これまで国内にあった施設の約100倍の強度で軟X線を発生させることができるナノテラスは、物質の電子状態やその変化を高精度で追うことができる世界最高レベルの高輝度放射光施設として、国内外から大きな期待を集めています。

最先端技術を核にして「共創の場」が生まれる

ナノテラスは大型研究施設としては日本で初めて「官民地域パートナーシップ」によって整備・運用が行われます。民間・地域のパートナーとして名を連ねるのは、光科学イノベーションセンター(PhoSIC)、宮城県、仙台市、東北経済連合会、東北大学の5者。ここが国と費用を分担して整備・運用を行います。
地域パートナー側の財源となるのは「コアリション」(有志連合)という産学連携の新しい仕組み。すでに多くの企業から参加表明をいただいていますが、メンバーになると、放射光の利用経験がない企業でもコアリション用に確保されているビームラインを使い、取り組みたいテーマに応じて学術メンバーから放射光を使った実験やデータ分析などのサポートが受けられます。さらに、その企業のコアな課題に一緒になって取り組んでくれる研究者とのマッチングも行います。
一方、こういった産学連携は学術側にとってもメリットがあり、コアリションによって企業から持ち込まれる課題が新たなテーマとなって研究開発が加速することも期待できます。そのためにも、企業の皆さんにはあえて放射光の勉強をしないでくださいとお願いしています。「純粋に、お困りごとだけを持ってきてください」と。実はそういうところから、新しいサイエンスの芽は生まれてくるのです。

可視化されることで、あらゆるものがつながっていく

ナノテラスの強みは何といっても、様々なものがナノレベルで直接「可視化」できるということです。
たとえばエコタイヤ。エコタイヤはゴムの形を整え硬くするために、ナノサイズのシリカのボールを入れています。これが均一に分散することでタイヤが変形しにくくなる。変形しにくいと摩擦が小さくなる。だから燃費が良くなる。これがエコタイヤの原理です。
その開発に際し、これまではデータを解析し、ボールがどのように分布しているのかモデルを作って検証していましたが、ナノテラスなら実際のゴムの中にボールが不均一に固まっている状態が可視化できます。可視化されることで、ボールをどのように分散させればいいのか、ボールとボールの距離はどれぐらいが最適なのか、より高い精度でシミュレーションできる。これまでのように放射光で測るだけではなく、データ科学やAIなど最先端の様々な分野の知見も入ってきて、その先のものづくりとつながり、ちゃんと答えやソリューションまで持っていく。研究することだけがサイエンティストの仕事ではありません。大事なのはそれをしっかり社会に還元していくこと。そこまでが本当の仕事です。
誰もが一目で理解できる可視化されたデータだから、みんながアイデアを出したくなる。みんながアイデアを出したくなるから様々な分野の融合が起こる。企業にとっても、もっとコアな課題、今までと違う概念がでてくる。そしてそれがイノベーションにつながる。そんなデータを出すこと、そんなイノベーションを牽引する大学になること、それこそが青葉山新キャンパスに「ナノテラス」がある意義なのです。

[インタビュー]農学研究科:原田昌彦教授

アクセスが近い、生活に近い、関心が近い

次世代放射光施設と聞くと、なんとなく理工学系のイメージを持たれるかもしれませんが、ナノテラスの特徴である高輝度の軟X線は生物試料測定にも適していることから、食や農の分野での放射光の利用拡大が期待されています。
またナノテラスは農学研究科に近接しているので、研究科に整備されている測定機器や食品加工施設などの設備を組み合わせて使えたり、植物実験フィールドから試料の調達が容易だったりという立地的な利便性も高く、そういった点でも恵まれた環境にあると思います。実際に実験フィールドに立つと、今はナノテラス関連の工事現場を見ることもできます。
もちろんナノテラスは東北大学キャンパスの中にあるので、農学だけではなく、理系、文系にかかわらず学内のいろいろな先生との連携や、クライオ電子顕微鏡などの先端設備が活用できるというところも、とても大きなメリットです。

また仙台駅から近いので、他大学や企業との連携も取りやすい。地下鉄に乗ってナノテラスをすぐ見に来てもらえて、見てもらえれば関心を持ってもらえて、そこから生み出される最先端データの活用に興味が生まれ…という循環で、どんどん利用への関心を高めることができ、ネットワークも形成される。さらに食・農の観点でいえば、ナノテラスが生産地と消費地の両方に近いというのも、街を試験場として生活からのフィードバックも活かすことができるという意味でとても魅力的です。

「“美味しい”の見える化」から広がる利活用

ナノテラスを食・農領域で活用するため、国際放射光イノベーション・スマート研究センター(SRIS)には農業・食品スマートラボが設置されています。さらに農学研究科では、放射光生命農学センター(A-Sync)を立ち上げました。PhoSICとも連携し、SRISとA-Syncは、農畜水産、食品科学、生命科学の分野で、次世代放射光施設の利活用に向けた産学連携の取り組みをはじめています。
そのひとつが、宮城県や仙台市の事業として行われている、既存の放射光施設(兵庫のSPring-8や佐賀のSAGA-LSなど)を利用した企業との先行研究(トライアルユース)です。
これまで、エダマメの内部構造をイメージングして、味覚と内部構造の相関関係を調べる「美味しさの見える化」や、手延べ素麺と機械麺の内部構造の違いをナノレベルで可視化して、製法による食感の違いを比べる「伝統手法の見える化」、かつお節内部の熟成過程を可視化する「プロセスの見える化」、などを食品企業と論議しながら一緒に行ってきました。最先端のハイテク施設を使ってエダマメや素麺の研究というとギャップを感じてしまうかもしれませんが、ナノテラスは決して研究者のためだけの施設ではありません。そして、幅広い方が関心をもつ話題はやはり「食」なんですね。食べることと言うのは、誰にとっても身近で、ナノテラスに興味を持ってもらうにはとても良い入口なんです。そんな身近で関心の高い「食」ですが、“なぜ美味しいと感じるのか”“なぜこの食感なのか”といったメカニズムには、実はまだわからないことがたくさんあります。我々がもつ「美味しい」という感覚には、その食品に含まれる成分と共に、テクスチャー(構造)が大きく影響しています。人間の舌はとても高感度で、食品の内部構造や成分の空間分布の違いを感じています。
そこに放射光利用が力を発揮します。薄くスライスしたり染色した組織や細胞を顕微鏡で観察することは私の研究室でも日常的に行っていますが、放射光の強みは非染色・非破壊で食品や農産物の内部構造をナノレベルでデータ化・可視化できることです。つまり、“美味しい”の可視化とデジタル化ができ、さらにそのデータの応用利用ができるということになります。

「美味しい」のその先へ

そうやって美味しさの違いを「見える化」することで、これまで経験や感覚で“何となく”伝えられていた製造プロセスや産地による違いが、科学的に解明できるようになってきます。
たとえば、ウイスキーなどの酒類でも、放射光でナノレベルの構造成分が検出されています。ですので、東北の日本酒がなぜ美味しいのかもナノテラスで科学的に説明できるようになると考え、A-Syncでは日本酒の放射光測定も始めています。「宮城のお酒の構造と他県のお酒の構造はこう違う」という新しい見方や評価軸が示せるようになると期待しているところです。また、海外に輸出する際も、淡麗だとか豊潤だとかといった曖昧な表現ではなく、「この品にはどのような構造的特徴があるから、こういう料理とマリアージュすればとてもおいしくいただけます」というようなことが、科学的な裏付けをもってアピールできるようになる。ナノテラスは、ものづくりだけではなく、そんなマーケティング的な側面での競争力の強化にも貢献できます。
食の分野で今後さらに放射光の利活用が進めば、様々な嗜好に対応した栽培や飼育方法を開発したり、品種改良して新品種を生み出したり、新規の製造や調理プロセスを開発することができるような未来も拓けます。また後継者不足で技の継承が問題になっている伝統手法についても、その伝統製法プロセスを内部構造変化のデジタル情報としてしっかり記録しておくことで、それを機械的に再現する方法が生み出されてくるでしょう。
我々が口にする食品はすべて生物由来で、もちろん食べる我々も生物です。ですので、食の研究は生命科学の幅広い領域、とくに医療や薬の領域とも深く関連しています。私は分子生物学の研究者でもあるので、病気のモデル細胞内のナノ構造と遺伝子の機能との関連や、そこに作用するような薬の効果の可視化なども準備していて、そういう医・薬にも関連する領域でもぜひナノテラスの活用を拡げたいと思っています。

PROFILE

東北大学国際放射光イノベーション・スマート研究センター 教授
(兼任)多元物質科学研究所 教授
高田 昌樹 Takata Masaki

1959年生まれ。広島大学理学部卒、同大学院博士課程単位取得退学。理学博士。名古屋大学助教授、高輝度光科学研究センター(JASRI/SPring-8)部門長、理化学研究所放射光科学総合研究センター副センター長を経て2015年より現職。2024年に青葉山新キャンパスに完成予定の次世代放射光施設、NanoTerasu(ナノテラス)の牽引役を地域パートナーの代表として務めてきた。SPring-8では、2008年ソフトマテリアル企業18社と我が国初の産学連携の放射光活用コンソーシアム(FSBL産学連合体)をSPring-8に設立。専用ビームラインを建設し、エナセーブ,エコピア,ブルーアースというエコタイヤの開発の成功を支えた。

PROFILE

東北大学大学院農学研究科・農芸化学専攻分子生物化学分野・教授
原田 昌彦 HARATA Masahiko

1962年生まれ。東北大学理学部卒業、同農学研究科博士課程後期課程修了(農学博士)。東北大学農学研究科助手、准教授を経て、現職。この間、1992年~1994年にウィーン大学がん研究所助手。現在、国際放射光イノベーション・スマート研究センター(SRIS)農業・食品スマートラボ、およびソフトマテリアル研究拠点(AIMcS)を兼務。2021年に大学院農学研究科が設置した放射光生命農学センター(A-Sync)のセンター長として、農学の3つの中心テーマである「食料・健康・環境」の教育研究・産学連携・地域連携におけるナノテラス活用に取り組んでいる。

取材・原稿/泉 英和、佐藤 隆子
写真/熊谷 寛之

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