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東北大学埋蔵文化財調査室年報

 号数 刊行年月日  遺跡名等  調査年 主要な掲載内容   正誤表
年報1 1985.10.11  仙台城跡二の丸第1地点 1982  江戸時代の溝跡やピットなどが検出された。本調査区は二の丸の建物区域外の場所と考えられる。  
仙台城跡二の丸第2地点  1982 二の丸小広間周辺の礎石や石敷遺構等が検出された。明治15年の二の丸焼失の痕跡も認められた。  
仙台城跡二の丸第3地点  1982 二の丸の南端部に当たり、二の丸に伴う遺構のほか、二の丸造営以前の池跡等も確認されている。  
年報2 1987.03.31  青葉山遺跡  1983、1984  青葉山遺跡B地点、E地点、F地点の調査成果を掲載した。 
*「旧石器」については学術資料として使用できません。
 
年報3 1990.07.31  仙台城跡二の丸第6地点 1985  江戸時代の堰状の石組みを有する溝跡や石垣を伴う土台などが検出された。 この溝跡は、「肯山公造制木写之略図」の二の丸西端のV字状の溝の一方に対応する可能性がある。土台は、二の丸外塀に該当するものと推定される。  
芦ノ口遺跡第1次調査  1985 縄文時代前期、平安時代の遺物が出土した。  
芦ノ口遺跡
(考古学研究室による調査) 
1976 縄文時代、平安時代の遺構・遺物が出土した。  
年報4・5 1992.03.25  仙台城跡二の丸第7地点 1986  二の丸正門である詰の門の東側に隣接する「七十間御兵具蔵」の可能性がある掘立柱建物跡が確認されている。   
仙台城跡二の丸第8地点  1986 江戸時代から明治時代の掘(池)、溝、道路などの遺構のほか、陶磁器、瓦、煉瓦、ガラス製品などが出土している。大半の遺物は明治以降であり、江戸時代の遺物は少ない。  
仙台城跡二の丸第4地点 1985、1987 二の丸造営以前の遺構が検出された。  
年報6 1993.03.25  仙台城跡二の丸第5地点  1985、1987、
1988 
江戸時代初頭に伊達政宗の女である五郎八姫の居館である「西屋敷」が置かれていた地点であり、その時期の池と溝からなる庭園と、それに接する礎石建物などが検出された。その後の時期の二の丸中奥の遺構群も確認している。
年報7 1994.03.25  仙台城跡二の丸
第5地点(付帯施設部)
1989  江戸時代の建物跡、溝跡、池などが検出された。 
仙台城跡二の丸
北方武家屋敷第5地点 
1989 2条の溝跡を検出した。新しい遺物が出土していないこと、検出層位などから江戸時代の遺構と考えられる。
川渡農場町西遺跡第1地点  1989 近世以降の溝跡や、弥生後期の土器などが出土した。
仙台城跡二の丸
第5地点調査成果の検討 
研究編  塩引・御子篭考-仙台城二の丸跡出土木簡の検討-
年報8 1997.03.28  仙台城跡二の丸第9地点  1989  伊達宗泰のものと推定される屋敷跡や、台所門周辺の遺構群が検出された。   
年報9 1998.02.27  仙台城跡二の丸第10地点  1992  江戸時代の敷石遺構や石組溝などが検出された。    
芦ノ口遺跡第2次・3次調査  1989、
1991
縄文時代、古墳時代の遺構・遺物が検出された。また、人工遺物は伴わないが泥炭層が検出された。  
考察編  仙台城二の丸跡の考古学的調査  
年報10 1998.03.30  仙台城跡二の丸第13地点  1993  おおむね二の丸期あるいはそれ以前のピット等が確認されている。   
研究編  関根達人「相馬郡における近世窯業生産の展開」  
年報11  1999.02.28 仙台城跡二の丸第12地点 1993  19世紀台の二の丸北側の堀と、それを横断する堰状遺構を検出した。   
仙台城跡二の丸第14地点   1994 小規模な範囲の調査であるが、江戸時代の遺構・遺物が若干検出された。  
青葉山遺跡E地点第2次調査  1993 小規模な範囲の調査であるが、縄文時代早期・中期、弥生時代後期、平安時代の遺物が出土した。  
年報12 1999.03.31  青葉山遺跡E地点第3次調査  1994  縄文時代早期の竪穴住居跡が2棟検出され、同時期の土器が多数出土した。 
仙台城跡二の丸第15地点  1995 大規模な削平をうけており、江戸時代の整地や遺構は検出されなかった。
年報13 2000.03.31  仙台城跡二の丸第11地点  1995  池状遺構とピットが検出された。   
仙台城跡二の丸
北方武家屋敷第4地点 
1995 二の丸造営期の整地層下から、3条の溝跡などが検出され、土師質土器、箸などの遺物が多く出土している。二の丸造営以前に存在した伝伊達宗泰の屋敷と、西屋敷の間を画する排水を目的とした溝であった可能性が高い。  
青葉山遺跡E地点第4次調査  1995、1996 縄文時代早期、中期の土器が出土した。  
年報14 2001.03.31  仙台城跡二の丸
北方武家屋敷第6地点
1996  溝、ピットなどが検出されているが、調査範囲が非常に狭いため、武家屋敷の具体的構成は不明である。 
青葉山遺跡E地点第5次調査  1996 青葉山遺跡E地点第5次調査の成果を掲載した。
*「旧石器」については学術資料として使用できません。
芦ノ口遺跡第4次調査  1996 縄文時代の粘土採掘坑が検出された。
年報15 2001.03.30  仙台城跡二の丸第16地点  1996、1997  18世紀後半~幕末と推定される瓦と礫による整地面が確認された。  
青葉山遺跡E地点
第6次調査 
1998 縄文時代の陥し穴が検出され、縄文時代早期、中期、晩期の土器や石器が出土した。また、地滑り痕が確認された。  
年報16 2001.03.30  仙台城跡二の丸
第17地点試掘 
1998  2000年度の本調査のための試掘調査。  
年報17 2002.03.29   ― ―  センターで行った1999年度の立会調査と事業内容を掲載した。   
年報18 2005.03.31  仙台城跡二の丸第17地点   1998、2000  二の丸期の遺構のほか、文化元(1804)年の火災後に、一時的に造られたと考えられる礎石建物群が確認された。この火災の片付けに伴う遺物がまとまって出土しており、年代の明らかな基準資料となる。
年報19
第1分冊
2006.03.31  仙台城跡二の丸
北方武家屋敷地区第7地点
2001  仙台城二の丸北側に広がる武家屋敷第7地点の検出遺構に関する報告。検出遺構は、整地層と掘り込み面の関係から、Ⅰ~Ⅳ期に区分された。18世紀初頭頃から19世紀前葉頃の多数の土坑・溝・井戸などを確認している。中でも、南東部に極めて大規模なゴミ穴が造られている。ここからは、享保年間の年号が記載された木簡が多数出土した。  
芦ノ口遺跡第5次調査  2001 溝、土坑、ピットが検出された。土坑は、形状や堆積状況などから、粘土採掘坑の可能性が考えられる。土坑から古墳時代前期の土師器が出土した。
年報19
第2分冊
2009.03.31  仙台城跡二の丸
北方武家屋敷地区第7地点
 2001 仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第7地点出土の陶磁器・土器・土製品・瓦に関する報告。 
年報19
第3分冊
2007.03.31  2001  仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第7地点出土の木簡と墨書のある木製品に関する報告。 
年報19
第4分冊
2008.03.31  2001  仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第7地点出土の漆塗製品、木製品、金属製品、石器・石製品に関する報告。   
年報19
第5分冊
2010.03.31  2001  仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第7地点に関する分析と考察。
年報20 2006.03.31  仙台城二の丸
北方武家屋敷地区第8地点
2003 溝、土坑、ピットが検出された。溝からは、17世紀前葉頃の陶器が出土しており、その頃に機能していた溝として考えられる。
青葉山E遺跡第7次調査  2002~2003 縄文時代早期、中期、晩期の土器、石器、土偶が出土した。とくに早期中葉土器の空白地域となっていた宮城県における様相をとらえることができる資料である。また、青葉山E遺跡の総括を行った。
青葉山E遺跡第8次調査 2003 後期旧石器時代や縄文時代の層序の大部分は、すでに削平されていることが判明した。
年報21 2007.03.31  仙台城二の丸
北方武家屋敷地区第9地点
2003  溝、土坑、柱列、石垣などの遺構が検出されている。段丘崖のすぐ上という、やや特殊な場所の調査であり、検出された遺構の性格はあまり明確でない。  
芦ノ口遺跡第6次調査  2004 粘土採掘坑と考えられる7基の土坑が検出されている。4基の土坑から土師器が出土しており、古墳時代前期の塩釜式の相当するものがある。  
年報22 2008.03.31  青葉山遺跡B地点  2004  青葉山遺跡B地点の試掘調査。縄文時代に相当する層は削平されていた。   
年報23 2009.03.31   ― ―  調査室で行った2005年度の立会調査と事業内容を掲載している。  
年報24 2010.03.31  仙台城二の丸
北方武家屋敷地区第10地点
2006  石垣が検出されている。大堀通の側溝となる可能性が高い。
青葉山遺跡C地点  2006 後期旧石器時代の石器が発見された。
青葉山遺跡B地点  2007 青葉山遺跡B地点の試掘調査。遺構・遺物は発見されなかった。

東北大学埋蔵文化財調査室年次報告

巻数(刊行年度)  刊行日 内容  正誤表 
年次報告2007 2010.09.27 青葉山B遺跡の試掘調査など  
年次報告2008 2010.09.27 仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第13地点の発掘調査概要  
年次報告2009 2012.03.30 芦ノ口遺跡第7次・第8次発掘調査の概要など  
年次報告2010 2012.03.30 青葉山E遺跡試掘調査の概要など  
年次報告2011 2013.03.29 芦ノ口遺跡の確認調査など   
年次報告2012 2014.03.31 仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第15地点の発掘調査概要など  
年次報告2013 2015.03.31 芦ノ口遺跡第10次発掘調査の概要など   
年次報告2014 2016.03.31 仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第14地点の発掘調査概要など  
年次報告2015 2017.03.31 仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第14地点の発掘調査概要など 
 年次報告2016  2018.03.31 立会調査結果、受託研究成果など   
 年次報告2017  2019.03.29 立会調査結果、受託研究成果など 
 年次報告2018  2020.03.31 立会調査結果、受託研究成果など 
 年度報告2019  2021.03.31 立会調査結果、「資料紹介—「仙台陸軍教導学校」『各部隊配置図・国有財産台帳附図』より—」など
  年次報告2020  2022.03.31 立会調査結果、芦ノ口遺跡第11次調査成果、仙台城跡二の丸第19地点調査成果など  
  年次報告2021  2023.03.31 立会調査結果、仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区 第17・18・19地点、姥沢遺跡の調査成果など  
  年次報告2022  2024.03.31 立会調査結果、青葉山B遺跡、姥沢遺跡の調査成果など  

東北大学埋蔵文化財調査室調査報告

 巻数 書名  副題  刊行日  概要   正誤表
調査報告1 仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第11地点・第12地点 仙台市高速鉄道東西線機能補償関係調査報告書 2011.06.30 江戸時代から明治初頭に至る各種の遺構・遺物が確認された。江戸時代初頭の陶器も比較的多く出土しており、この地域における武家屋敷の整備が、江戸時代初頭から開始されていたことがわかる。
調査報告2 仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第13地点   2013.03.29 江戸時代から明治初頭に至る各種の遺構・遺物が確認された。絵図との対比から、検出した沢状遺構は千貫沢に合流する沢と推定することができた。  
調査報告3 芦ノ口遺跡 第7次調査・第8次調査    2014.03.31 第7次調査では、縄文時代と古墳時代の粘土採掘坑と推定される土坑を多数確認した。出土遺物は、全体的に保存状態が悪く、細かな時期が比定できるものは少ない。第8次調査では、自然の沢状の落ち込みを検出した。   
調査報告4 芦ノ口遺跡 第9次調査
青葉山E遺跡 第9次調査
東日本大震災復旧事業関係調査報告書 2015.03.31  芦ノ口遺跡第9次調査では、縄文土器と土師器が混ざる包含層と共に、沢状に落ち込む自然地形を確認した。青葉山E遺跡第9次調査では、縄文時代早期と中期の土器や石器などの遺物のほかに、7基の土坑を確認した。
調査報告5 仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第16地点     2016.03.31 近世から近代の遺構・遺物が多数確認できた。調査時には、ピット、井戸、溝、堀として遺構を確認した。考察の結果、江戸時代における筋違橋通の様相と自然災害の痕跡を確認することができた。  
調査報告6 仙台城跡二の丸地区第18地点    2017.03.31 仙台城跡二の丸期以前の遺構や土層等の遺存状況を確認するための調査である。調査の結果、近現代の撹乱はそれほど広がらず、各調査区において二の丸期以前の土層が良好に残っていることが判明した。また、撹乱部における土層断面の観察から、複数時期の整地層や遺構を確認した。
調査報告7 仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第14地点 第1分冊 2019.03.29 仙台市高速鉄道(地下鉄)東西線の川内駅の、駅前広場等を整備する工事に伴う調査である。本報告は遺構のみをまとめたものである。調査の結果、数多くの遺構を確認し、I~III期の4段階を設定することができた。時期が多いのはⅠ・Ⅲ期であり、Ⅱ期の遺構は少ない。遺構の中では、池状遺構4基の存在が特徴的である。
調査報告8 仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第14地点 第2分冊   2020.03.31 仙台市高速鉄道(地下鉄)東西線の川内駅の、駅前広場等を整備する工事に伴う調査である。本報告は遺物と考察をまとめたものである。出土遺物は主に江戸時代の17世紀から19世紀の時期の遺物である。2号池状遺構では、「正徳3年」(1713)と記載された木簡も出土した。6号井戸からは幕末頃の陶磁器や漆器・木製品などが一括して出土しており、明治初頭の武家屋敷の取り壊しに伴って一括廃棄されたものと推測される。
調査報告9 仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第15地点 第1分冊   2024.03.29 本調査は川内北キャンパスにおける課外活動施設新営工事に伴う調査である。調査の結果、縄文・江戸時代や近代の遺構等を確認している。江戸時代の遺構は、1期(17世紀)~3期(19世紀)の3段階に分かれる。この本調査区では、建物や柱等の構造物に関する遺構は少なく、北東端にある沢状遺構へと接続する多くの溝や池の存在が目立つ。これらの遺構は、当時の屋敷地の景観や地境を考える上で重要な資料であると考えられる。

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