東北大学 東北大学新型コロナウィルス対応特別研究プロジェクト,The Front Line of COVID-19

PEOPLE

インタビュー

COVID-19で試される大学の総合知──瀬名秀明さんに聞く

渡辺政隆(広報室特任教授)

 瀬名秀明さんは、東北大学大学院薬学研究科博士課程在学中の1995年に『パラサイト・イヴ』で第二回日本ホラー小説大賞を受賞し、作家としてデビューしました。その後も数々の話題作を発表してきましたが、2009年には『パンデミックとたたかう』(押谷仁さんとの共著、岩波新書、2009)と『インフルエンザ21世紀』(集英社新書、2009)というノンフィクションを発表しています。

瀬名秀明さん

 この2冊は、その年に発生した2009年新型インフルエンザの流行を受け、前者は東北大学教授で、現在、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議構成員、厚生労働省新型コロナウイルスクラスター対策班メンバーとして新型コロナ感染症の封じ込め対策にあたっている押谷仁さんとの対談です。後者は感染症の専門家から看護師、リスクコミュニケーションの研究者など30名へのインタビューをまとめたものです。ある意味で、今回の新興感染症の流行を10年前に予見していたとも言えます。
 瀬名さんによれば、「謎の致死的伝染病」という設定とホラー小説は相性が良いそうで、事実、鈴木光司さんのベストセラー小説『らせん』がその種の設定を用いています。瀬名さんの下にも、作家デビュー当初から伝染病もの小説の依頼があったそうです。しかし、現実問題としては、新型の鳥インフルエンザにしても豚インフルエンザにしても、あるいはエボラ出血熱にしても、社会をホラーで巻き込むほどの致死率や伝染力はありません。なので、そういう題材を小説にすることには二の足を踏んでいたとのことです。

渡辺政隆(広報室特任教授)

 しかし、2009年に新型インフルエンザの世界的流行が起こり、日本でも感染者が出ました。そのときちょうど、新書執筆の依頼が来たことから、ノンフィクションというジャンルならということで取り組んで書き上げたのが、先の2冊でした。その下地があったことから、今回の新型コロナウイルス感染症の流行に際しても、メディアからの取材依頼、出演依頼が多数ありました。しかし連載などの仕事もあるため、NHKの特別番組への協力以外はほとんど断ってきたそうです。

歴史を変える感染症

 今回の騒動は、新型インフルエンザを取材した10年前とは状況が大きく変わっています。新型インフルエンザの流行に関しては10年前に書き尽くしたつもりでいた瀬名さん自身、今回の事態とその成り行きに衝撃を受けています。  新型コロナウイルス感染症は、日本における新興感染症の大流行としては戦後初の経験です。いうなれば、日本だけでなく世界が不意を突かれた状態ですし、このままうまく抑え込めたとしても、コロナ以前と以後とでは、世界の風景は変わって見えることでしょう。社会と経済のシステムだけでなく、私たちの意識、生活スタイルも変更を余儀なくされるはずです。
 未だ渦中にある新型コロナ感染症の流行では、現行の制度や態勢のひずみがあちらこちらで明るみに出つつあります。政策決定における感染症専門家の役割、メディアの報道、SNSの機能と影響、テレワークのあり方、グローバル化推進の功罪、ナショナリズムの台頭、俗に言う自粛警察の跋扈等々、10年前には存在しなかった問題が浮き彫りになりつつあるのです。
 この10年間には、東日本大震災という大きな出来事もありました。政策決定の透明性及び情報開示の不徹底など、その反省と教訓が、今回どれほど活かされているのかも見えていません。
「今回のコロナ対策では、政治家は専門家の意見を聞かずに対策に取りかかった後で、過去の感染症対策で活躍されてきた錚々たる面々からなる専門家会議を招集しました。そしていつの間にか、専門家会議が批判の矢面に立たされるようになる一方で、さまざまな分野の専門家がメディアやSNSに登場し、歯切れのよい批判を口にすることでヒーローになっています。ネット社会になり、世間の風向きが10年前とはずいぶん変わった感じがします。実績も人望もあるはずの専門家への信頼さえどんどん薄れており、一瞬にして信頼を失ってしまう社会は大丈夫なのか。そんな思いを抱くのは古い受け取り方なのか、ぼく自身よくわからなくなっています」と、瀬名さんは語ります。
 2009年の取材では、「いろいろな専門家がいることを知りました。いろいろな現場があっていろいろな意見があり、発信していない専門家もそれぞれの矜持に基づいた行動をとっているはずなのです。そういう声を拾うのが大切です。なんとかして、専門家の連帯感を取り戻さなければなりません」と、瀬名さんは憂慮しています。
 ナショナリズムの台頭にしても、「海外では強権的な封じ込め政策の方が功を奏しており、コロナ後の社会風潮や世界情勢の行方が心配」だといいます。しかも、瀬名さん自身、「2009年新型インフルエンザでの対応ではさすがと思わされたWHOやCDC(米国疾病予防管理センター)の信頼できる組織という神話」がひっくり返ってしまいました。そして中国とアメリカの対立が激しさを増しつつあります。
 2009年に出版した押谷さんとの対談で、瀬名さんが特に印象に残った言葉があったそうです。それは、「想像力を持つことの大切さ」です。自分が感染することで、世界の遠く離れたどこかにいる弱者も回りまわって感染し重症化するかもしれないという、グローバル時代の想像力をみんなに持ってほしいという話でした。

今こそ知の総動員を

 では、コロナ後に向けて、私たちはどうしていけばよいのでしょうか。それを考えたとき、瀬名さんは尊敬するSF作家、小松左京さんの大いなる挑戦とその挫折が頭に浮かんだそうです。
小松左京さんは、世紀のベストセラー『日本沈没』などで日本のSF界をリードしたのみならず、大阪万国博覧会テーマ館のサブ・プロデューサーを務めたり、各界の有識者と幅広く交流し、未来学の提唱もしました。その小松さんは1995年の阪神・淡路大震災を罹災したことで、その経験をすべて記録し、未来のために活かすという壮大な作業に取りかかりました。その成果が、毎日新聞での1年間の連載をまとめた『小松左京の大震災'95』(毎日新聞社、1996)です(後に河出文庫収録の際、本体のタイトル『大震災'95』に変更)。
 瀬名さんによれば、それはSFに登場する、何にでも通じていて新たな危機に直面すると必ず解決策を思いつく知のスーパーマン的「総合科学者」になることを自ら試みて中座せざるを得なかった壮大な失敗だったそうです。一人の人間がすべての情報を総括して未来を予言することには無理があったというのです。
 小松左京さんは、『大震災'95』の最後で、16~17世紀イギリスの詩人ジョン・ダンの「誰がために鐘は鳴るやと/そは汝がために鳴るなれば」という象徴的な詩を引用することで余韻を残し、この作業は今後も続けると「あとがき」で宣言しています。しかし、小松さんの作家としての創作活動は、事実上そこで途切れてしまいました。
 瀬名さんは、同じ作家として、今回の新型コロナウイルス感染症を総括して未来に活かす必要性を感じています。しかし、小松左京さんにもできなかったその任を一人で背負い込むことは現実的ではないし不可能です。むしろ、東北大学という総合大学こそが、そうした総合的な使命を担うべきだと考えています。そしてもちろん、東北大学としても、そうした期待に応える責任があります。
 そこで私たちは瀬名さんの協力を仰ぎ、東北大学が擁する多様な専門家の知を総合する作業を始めることにしました。具体的には、大学の各種専門家に瀬名さんがインタビューし、それを渡辺がまとめていくという方法をとる予定です。対象となる専門家、関係者は科学者だけではありません。コロナ後の社会の行方を占うには、人文系の研究者の専門知や職員の経験知も欠かせないからです。
 瀬名さんの意欲的な挑戦に、ご期待ください。
  (2020年5月6日取材、同年5月25日記事作成)

瀬名秀明

東北大学大学院薬学研究科博士課程在学中の1995年に『パラサイト・イヴ』で第二回日本ホラー小説大賞を受賞し、作家としてデビュー。
(肖像写真 佐々木隆二氏撮影)

渡辺政隆(広報室特任教授)

サイエンスライター。文部科学省科学技術・学術政策研究所、科学技術振興機構、筑波大学広報室教授を経て、2019年5月より東北大学広報室特任教授。