はじめに

当研究室では気相クラスターによる分子間相互作用の研究を行っています。我々が目にする物質は分子の集合から出来ています。物質を構成する分子の性質は非常によく調べられていますが、分子1個が単独でいる状態と複数個の分子が集合している状態では、その性質は大きく異なります。これは分子同士を結びつけ、あるいは反発させる力、すなわち分子間相互作用が分子の集合体の性質に大きく関与するからです。例えば水の性質を決定づけている水素結合は分子間相互作用のひとつです。また、タンパク質は極めて精妙な働きを生体内で示しますが、その多くは分子間相互作用の非常に複雑な組み合わせによるものです。

分子間相互作用の特徴は、1+1が2にならないことが多いことです。すなわち、複数の分子間相互作用は共同して働き、単純な足し算になるとは限りません。分子の数が増えると、急速に問題は複雑になっていきます。私たちに一番身近な物質はおそらく水だと思います。単分子の水の構造は驚くほどの精度(10-14 m!)で決められていますが、液体の水の中で水分子同士がどのように水素結合を作って互いに結ばれているかは、未だに議論の的です。

分子クラスターとは

クラスター(cluster)とは英語で「房(ふさ)」を意味し、葡萄のように個別のものがいくつか集まって作る集団を指します。分子クラスターは分子が2個から数万個集まったかたまりです。このような分子クラスターは、高圧にした気体をピンホールから真空中に吹き出す、超音速ジェットと呼ばれる手法で生成させることが出来ます。クラスターを構成する分子の数をサイズ(size)と呼び、クラスターの化学で一番重要な概念です。

クラスターは、いわば目に見える物質の一部を「切り出した」ものに相当します。あまりにも複雑すぎる巨視的物質(1023個もの分子の集団)を数えられるレベルに単純化し、その本質を捉えることを可能にしようとするものです。例えば、水分子を2個、3個、と組み合わせていくと、図に示したように水素結合によるネットワーク構造が出来ていきます(これは私たちの研究室の寄与を含む、多くの研究者の成果を纏めたものです)。氷は6員環が組み合わさった結晶構造を持ちます。しかしそのような構造は実は水分子が数十?数百個集まらないと発現しないことが分かります。このように、1個の分子から目に見える物質への橋渡しをクラスターは可能にします。また、小さなサイズの水クラスターで3員環や4員環などの特異な構造が現れますが、クラスターでは巨視的な物質では観測されないような独自の性質も示し、それも興味深い研究対象になります。