「超高速分光と光合成研究」

1. 超高速 分光の基本原理

分光学とは

  「百聞は一見に如かず」ということわざがありますが、私たちは物質を見ることでたくさんの情報を得ています。トマトの色からその熟し具合がわかりますし、見ただけで金属とガラスを区別できます。このように物質の色からその性質を調べる学問を分光学といいます。時間分解分光では物質の時間変化を調べることができます。

写真1-1 ミニトマト

 

超高速の時間領域

 「超高速」という言葉から私たちが思い浮かべる現象はどのようなものでしょう。スキーの滑降や自動車のF1レースは100-300km/時のスピードで1000分の1秒を争 っています。映画やテレビの高速度撮影やカメラも1000分の1秒の世界を写し取ることができます。これに対して、物理学の世界で「超高速現象」と呼ぶのは、ピコ秒(10-12秒)からフェムト秒(10-15秒)の世界で す。10-15秒を実感するために、逆に1015秒の長さを考えてみましょう。1時間は3600秒、1日は86,400秒で すから、1年は約3000万秒(3×107秒)となり、1015秒は約3000万年に相当します。物質中の電子は、高いエネルギー状態に励起されるとフェムト秒の時間領域で最初の変化を起こ します。このため、フェムト秒分光は電子の励起状態を調べる非常に有力な手段となっています。

1-1 超高速現象と日常の時間との対比

写真1-2 フェムト秒分光装置

 

測定原理

フェムト秒の時間領域を見るには、カメラのストロボ撮影と同じ原理を用います。ストロボ撮影では、ストロボの光が当たった瞬間の映像をフィルムに記録することにより、 カメラのシャッター速度よりも高い時間分解能を得ています。超高速分光では、ストロボのかわりにレーザーの超短パルス光を用いる ことで、フェムト秒の時間分解能が可能となっています。

フェムト秒吸収分光
 フェムト秒領域の時間分解吸収分光にはポンプ・プローブ法を用いるのが一般的です。下図のように、2つに分けられたフェムト秒パルスは、一方が試料に変化を起こす励起(ポンプ)光となり、遅れて到着する検索(プローブ)光により試料を観測 します。プローブ光の光学遅延路の距離を変化することで、ポンプ光とプローブ光の間の時間間隔を任意に変更することができます。

図1-2 フェムト秒分光装置の概略図

 

研究対象

 超高速分光の研究対象はさまざまなものがあります。代表的な例を以下に示します。

・光励起された電子の変化(半導体など)
   光→電気信号、多数の電子の相互作用

・分子間のエネルギー移動(溶液など)
  
分子から溶媒へ、アンテナ分子から反応中心へ(光合成)

・光による分子の変化
   光異性化(視覚)、光化学反応

・他の波長の光の発生
    紫外・遠赤外光の発生、X線レーザー

・超高速光スイッチ
    光通信、光コンピュータ

 

2. 光合成系の研究

光合成の初期過程

  光合成は、光のエネルギーを用いて二酸化炭素と水から酸素とデンプンを作り出します。この過程は非常に複雑で多岐に渡ります。私たちの研究グループでは、光合成の初期過程において、光合成を行う植物や細菌がどのように光エネルギーを集めているかを研究しています。

 図2-1は、超高速分光によって明らかにされた光合成の初期過程です。光合成細菌の色素たん白複合体(LH1,LH2など)はきれいな環状構造をもっており,カロテノイド(Car.)およびバクテリオクロロフィル(B800, B850, B875)がこの環の中に規則正しく整列しています。一回り大きなLH1は反応中心(RC)をもっています。周囲のLH2は反応中心を持ちませんが,捕獲した光エネルギーをLH1に伝達してます。このように光エネルギーを効率よく集める構造を光アンテナと呼びます。

 光エネルギーは主にLH2のカロテノイド(Car.)で捕獲されます。捕獲されたエネルギーはフェムト秒からピコ秒(10-12秒)の時間内にLH2中のバクテリオクロロフィル(B800,B850)に伝えられます。この後,エネルギーはいくつかのLH2を経由してLH1中のバクテリオクロロフィル(B875)に伝えられ,最終的に反応中心で電気的エネルギーに変えられ、その後の光合成反応に使われます。

 

図2-1 光合成初期過程におけるエネルギーの流れ

 

光合成研究が目指すもの

 このような超高速のエネルギー移動機構の解明することで、植物や細菌などの生物を用いなくても人工の光合成系による光エネルギー利用を可能とすることを目指して研究を進めています。例えば、写真2-2は色素 蛋白複合体中のカロテノイドを入れ替えたものです。これにより天然の複合体とは異なる波長の光が利用可能となります。このように自然を理解することから一歩進んで,自然に学び自然が生み出したシステムを発展させることで新たな未来を切り開くチャレンジを進めています。

写真2-1 カロテノイドを入れ替えた複合体

 

研究例

 ここでは、光合成系で最初に光エネルギーを受け取るカロテノイドの研究例を紹介します。用いたカロテノイドは、β-カロテンです。

  
    図1-3 β-カロテンの構造

 図1-4は吸収スペクトルの時間変化です。色が大きく変わることは、β-カロテンの電子状態が変化したことを表しています。図1-5はラマン分光という手法で、β-カロテンが振動の様子を調べたものです。赤で示した部分は、図1-3に示した構造の中央部分が伸縮する振動をしていることを示しています。このことから分子がもつ振動が超高速過程では重要であることが明らかにされました。

   

  図1-4 光励起後の色の変化 (右は色のイメージ)


   

図1-5 振動状態の信号の変化(赤線部分が重要な信号)