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先人たちの発想法 Past Innovation小田滋 国際法の巨星・「海洋法の小田」の軌跡と
次世代への伝承

2024.12.20 更新


生い立ちと学問の道

小田滋は、1924(大正13)年に札幌市で生まれました。父・小田俊郎の台北帝国大学医学部教授奉職に伴い10歳から台湾・台北市で育ち、旧制台北高校を経て東京帝国大学法学部を卒業しました。
25歳という若さで東北大学の講師に着任した小田は、間もなくしてロックフェラー財団による戦後の米国留学の第1期生となりました。研究に打ち込む中、将来は「航行のための海」から「資源の海」になるという独自の認識に達します。すなわち、これまでは海洋を航行の場として捉え、貿易や通信のための経路としてグローバルな接続性や国際社会の一体性が偏重されていたのに対し、小田は海洋資源の重要性に目を向け、航行の自由に加えて沿岸国による資源の管理や利用に関する利益の調整を図り、海洋の利用における多様な利益のバランスをとる必要性を説いたのです。
この研究に取り組んだ結果、1953年にイェール大学ロースクールで法学博士(JSD, Doctor Juris Scientiae, The Doctor of the Science of Law)を取得しました。この研究は、欧米でも戦後初の海洋法に関するものと言われ、「海洋法の小田」の名を広めるきっかけとなりました。

「北海大陸棚事件」におけるファサード理論の提唱

彼を国際的に不動の地位へ押し上げたのは、西ドイツ(当時)側の弁護人として参加した国際司法裁判所の「北海大陸棚事件」における卓越した弁論でした。
豊富な海底油田が眠っていた北海では、海底の境界の線引きを巡り周辺国間の利害が衝突し、西ドイツとオランダ・デンマークとが国際司法裁判所で争うことになりました。この際、西ドイツ側弁護人に抜擢されたのが小田でした。
相手方のオランダ・デンマーク側は、すでに成立していた「大陸棚条約」の規定のもとになった「等距離線」理論に基づく「中間線」での線引きを審理で主張しました。この方式では、海岸が内側に湾曲する西ドイツには不利です。実際、外交や国際法の専門家からは、裁判では西ドイツ側が圧倒的に不利と見られていました。
しかし、オランダ・デンマーク側が主張する等距離線理論に基づく中間線での線引きにより境界を延長していくと、地図上に明らかに奇妙で、不衡平な結果が生じます。そこで小田は、「等距離理論」があくまで大陸棚条約でのみ定められた方式に過ぎず、決して全ての国家を拘束する法(慣習国際法)になってはいないとの事実をまず論証し、そのうえで裁判における基準は「衡平な基準」が大前提であるべきだと指摘します。そして、小田が創案した「ファサード理論」に基づく「公正かつ衡平な分割」を主張したのでした。
「ファサード(FACADE・もともとは仏語)」とは、「建物の正面」と言う意味で、小田は沿岸のファサードから北海の中心部に向かって境界線を引く方式の衡平さと公正さを説きました。これは、東北大学の祖川武夫教授、望月礼二郎教授などとの話し合いから受けた着想や示唆を、小田が仙台近郊の秋保温泉などの宿にこもりながら発展させた創見でした。この新たな理論が、西ドイツを勝訴に導く決定的な弁論になり、小田の世界的な名声が確立されたのです。

国際司法裁判所裁判官としての活躍

1976年、小田は国際司法裁判所裁判官に選出されました。その後、2003年までの3期27年を裁判官として務め、前身である常設国際司法裁判所を含めて史上最長の在職期間を打ち立て、国際社会における法の支配の実現と、紛争の平和的解決に大きく貢献してきました。
また、その間、多くの個別意見・反対意見を発表したことでも知られています。これにより、国際法における基本的な原則を深化させ、国際法の理論的発展にも大きく貢献しました。小田によって示された重要な洞察は、次世代の研究者や実務家にとっての指針として今なお学び続けられています。

ハーグ・平和宮にて、オランダ・ベアトリクス女王と拝謁する小田夫妻
国際司法裁判所の裁判官として職務を遂行する小田の様子(1982年「国際連合行政裁判所の判決第273号の最新の申立て」勧告的意見の言い渡しの場面)

教育者としての東北大学への貢献

東北大学では、法学部講師・助教授・教授として活躍しました。同僚や学生として小田と携わった者は皆、彼の人柄を率直で、快活、優しさに溢れていたと言い、深い信頼が寄せられていました。小田のもとで学んだ門下生には、日本学士院賞を受賞した杉原高嶺(京都大学名誉教授)や水上千之(広島大学名誉教授)などがおり、数多くの優秀な人材が輩出されました。
また、国際司法裁判所裁判官を退官した後は、2004年から国立法人化後の東北大学の総長選考会議の初代議長を務めました。このように小田は教育制度改革の推進に尽力し、東北大学の学術的基盤をさらに強化する一助となったのです。
こうした国際法に関する教育、研究、実務等に関する業績が評価され、文化勲章、文化功労者賞、瑞宝大綬章を受賞し、また日本学士院会員、東北大学名誉教授、仙台市名誉市民の称号が送られました。

仙台市名誉市民の称号を贈られた小田。2004年7月。(写真提供・河北新報社)

東北大学国際法政策センターの設立

2023年4月、東北大学に国際法政策センターが創設されました。これは、小田がこれまで築き上げてきた国際法への鋭い洞察力に基づく理論的研究と、国際社会が直面する実践的課題への取り組みを受け継ぎ、さらに発展させることを目的としたセンターです。同センターの企画として、今年2024年10月には、小田の生誕100年を記念して、国際法や国際裁判が直面する現代的な課題に取り組むための国際シンポジウムが開催されました。小田の思想と情熱は今も生き続け、次世代における国際法の研究者や実務家を鼓舞し続けています。

2024年10月に東北大学国際法政策センターが主催した小田の生誕100周年記念シンポジウム

主な参考文献

  • 小田滋「国際法の実務家に徹した60年:日本の法学者としての特異な体験を振り返る」『日本學士院紀要』65巻1号(2010年)31-73頁
  • 小田滋(酒井啓亘・田中清久補訂)『国際司法裁判所』[増補版](2011年、日本評論社)
  • 小田滋『回想の海洋法』(2012年、東信堂)
  • 小田滋『国際法の現場から』(2013年、ミネルヴァ書房)
  • 小田滋『回想の法学研究』(2015年、東信堂)

関連リンク

執筆者

東北大学国際法政策センター 学術研究員
山下 毅

2017年3月、上智大学法学部国際関係法学科卒業。2023年3月、神戸大学大学院法学研究科博士後期課程修了。博士(法学)。専門は国際法、国際裁判。同年5月より現職。2024年10月に東北大学国際法政策センターが主催した小田滋元国際司法裁判所裁判官・生誕100周年記念シンポジウムに関わる。

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