まなびの環境 Campus Environment東北大学附属図書館本館
2023.6.27 更新
名建築のなかで進化しつづける「杜」
現在の東北大学附属図書館本館は10年におよぶ入念な準備を経て、1973年の11月に全面開館しました。2023年はそれからちょうど50年目の記念すべき年となります。
「中善並木」から近づくとまず、大きなコンクリートの壁とそれに挟まれた広いガラス窓、全体を直線が支配する本館の特徴が目に入ります。そしてエントランスを抜けるとすぐに、広大な屋内空間が眼前に広がります。現在の東北大学の構成員にとってはあたりまえの光景ですが、開館当時の人びとはおそらくおおきな驚きと、また希望とともにこのモダニズム建築に接したのではないでしょうか。
というのも現在の本館が出来るまでの約50年間は、片平にある現在の史料館が図書館だったからです。1925年に完成したこの旧図書館は、伝統美を感じさせるネオ・ルネサンス様式で、規模は現在の本館より小ぶりです。また第二次世界大戦後には川内キャンパスに、アメリカ軍の施設を転用した「教養部分館」が出来ましたが、入学した学生を「余りの狭さに・・・これが名だたる東北大学の図書館かといささかがっかり」させるものでした(ちなみにこの学生は、その後図書館長を務めることになる野家啓一先生です)。この分館では「閲覧室とカウンターの間には金網が張ってあり、その間から本の出納が行なわれていた」そうで、これも現在の図書館とずいぶん異なる光景です。
新しい本館の設計にあたったのは、鬼頭梓建築設計事務所でした。鬼頭は日本におけるモダニズム建築の巨匠・前川國男の事務所から独立したのち、1968年に東京経済大学図書館の設計により日本建築学会賞を受賞しました。これにより注目を集めた鬼頭は東北大学の新図書館の設計を委託されますが、国立大学の図書館設計が民間に委ねられたのは史上初めての、画期的なことでした。鬼頭はこの後も数多くの図書館建築を手がけることになります。その中で本学の附属図書館本館は、のち2002年に日本建築家協会25年賞を受賞することになる、歴史的価値をもつ名建築といえましょう。
さて現在、本館一階に広がる中央スペースにはさまざまな机と椅子が並べられており、学生たちが勉学に励んでいます。このスペースを取り囲むように設けられた階上(および一部階下)の空間には、開架の書架に、東西の古典から最新の研究書まで、またEUや震災関連の資料なども配架されています。書物という木々と、それらに囲まれた広場としての中央スペースという見立てが、「まなびの杜」にちなんで可能かもしれません。書架の間をめぐって、知の森林浴で頭とこころをリフレッシュすることができます。また、中央スペースは現在たいへん人気があり、常に多くの学生でにぎわっています。自習用に仕切りが設けられた机があり、雑誌閲覧にちょっと腰掛けるためのソフトな丸椅子もあり、また図書館職員が密かに「ファミレス席」と呼ぶ、会話をしながらの共同学習が可能なボックス席や、同じく会話可能で机や椅子を自由に移動して利用できるフレキシブルワークエリアもあります。「読書という行為が、きわめて個人的で内面的な精神活動であることは言うまでもない。それにふさわしい場所と雰囲気とを、この開放的な広場の中につくり出そうとすることは、パブリックでプライベートな、プライベートでパブリックな空間をつくろうとするに等しい。言葉の遊びのようにも見えて、だがそれこそまさに現代図書館そのものではないだろうか」という鬼頭梓の目指そうとしたものが、まさにこの中央スペースをはじめ、館内の随所で共同作業空間と自習空間が共存する、現在の図書館本館に実現されているといえるでしょう。ちなみに開館当初の中央スペースは、文献検索のためのカード・ボックス(若い人にはわからないでしょうか)が置かれた「カタログ・コーナー」および、辞書・辞典類が置かれる「レファレンス・コーナー」で、一階・二階北側は現在同様、学部学生用の閲覧スペース、二階南側は研究者・大学院生のスペースとされ、今と相当違う使われ方でした。(一階閲覧スペースには、開館当時以来のものとおぼしい「静粛」の表示が今もあります。ちなみに「禁煙」表示の痕跡らしいものも)。吉植庄栄らが指摘するように、建物自体はもちろん、完成後それをいかに利用するかの工夫を重ねてきた図書館関係者の努力があって、「時代が、図書館の本質をふまえた鬼頭氏に追いついた」のです(吉植 庄栄、佐藤
貴啓、渡辺
真由、上田 夏実「東北大学附属図書館本館の建物について:建築家鬼頭梓の設計思想」『東北大学附属図書館調査研究室年報』第5号、2018年。https://core.ac.uk/download/pdf/236170104.pdf)。
なお年に一回の特別展をはじめ、館内のあちこちで随時花を咲かせる、所蔵資料のミニ展示の花園も、図書館を訪れる楽しみのひとつです。東北大学の蔵書印展、無声映画『メトロポリス』の世界展、まだ一度も借り出されたことのない書物展など、どの花園にも、企画し選書する図書館職員の知識とセンスが光ります。
次に地下の世界を見てみましょう。「杜」の見立てを続けるならば、地下は草木が根を広げる、これもまた大事な場所です。図書館本館の地下は二層に分かれており、図書をはじめとする資料が主として閉架式書架に収蔵され、その数は地上部分のそれをはるかに凌駕しています(地上部分は約30万冊、地下はその4倍を超える約140万冊)。開学以来120余年間に蓄積されてきた、古今東西の知の集積である資料群は、利用者の知的活動に汲めどもつきぬ栄養分を送り続ける、豊かな土壌と見立てる事が出来ましょう。なお書庫を地下に設けるのは、湿度の問題から50年前には一般に忌避されていましたが、設計者の鬼頭梓はあえてそれを行ないました。その理由は、上の階を軽くすることで前述の広い空間を確保することにあったそうで、ここにもまた本館建築が画期的なものである点を見て取ることができるでしょう。本学の教職員と大学院生、そして「書庫ガイダンス」を受ければ学部生でも、ここで知の地底探検を存分に愉しむことができます。
さてここまで本館の特徴を見てきました。広い空間を誇る本館ですが、収められる資料は増える一方であり、開館から10年たたないうちに早くも収納スペースが問題となってきました。それを解消するために建築されたのが二号館です(1989年竣工、翌90年開館)。本館同様、鬼頭梓建築設計事務所によるこの建物の大きな特徴は、将来さらに蔵書が増えることを見越して、上にもう一階建て増しする可能性を残したことでしょう(消防法の関係で建て増しは出来なくなったそうです)。二号館は雑誌などの定期刊行物が開架の書棚に配架されているほか(約30万冊)、準貴重図書や、国宝二点および漱石文庫などの貴重図書、つまり東北大学のお宝中のお宝が収められている大切な場所でもあります(国宝を持つ国立大学は四つしかありません)。
ふたたび本館に戻りましょう。ここまでは図書館の建物自体を中心に見てきましたが、設計者・鬼頭梓が大事にしたポイントのひとつに、利用者が使いやすいだけでなく図書館職員の働きやすい建物であるべきことがあり、本館がフラットな建築になっているのはその反映でもあります。ふたたび見立てをするなら、杜は土と樹木があるだけでは荒廃しかねず、適切に森林管理をおこなう人びとが不可欠です。この管理人が、すなわち図書館職員です。
附属図書館本館が開館して間もなく組織改編がおこなわれ、図書館には総務課・整理課・閲覧課の三課が置かれました。この区分が基本的に受け継がれて現在、総務課・情報管理課・情報サービス課となっていますが、後二課の名称変更は重要なことを示しています。つまり、当初は図書・雑誌など紙を中心とした資料の「整理」や「閲覧」がそれぞれ主な仕事だったところ、それらに加えて電子ジャーナル・電子ブック・デジタルデータなど新しい形態の諸資料への対応が不可欠になっており、しかもめまぐるしい勢いで進化する状況への適応が現在進行形で求められ、また進められているのです。いまや三次元の世界に加えてデジタルで広がる情報の大宇宙の、東北大学における中心である図書館、その管理運営の任に当たる図書館職員の仕事の一端は、全国の大学図書館で一、二位を争うフォロワー数を誇るtwitterやinstagramでも日々発信されているので、ぜひご覧ください。そこには図書館職員のイラスト描写・写真撮影・デザイン構成・動画作成の高い能力が発揮されています。また利用者の勉学・研究に奉仕するという大原則が常にその活動の基にありつづけてきたことも、拙文で強調したいことのひとつです。
最後に、先だってコロナ禍で休館を余儀なくされたとき撮影された、本館内の写真をお目にかけます。天上からの光が館内の闇を照らしており、本館建築の美しさの一面を見事に示していますが、これが見るものを重く沈痛な気持ちにも誘うのは、利用者も職員も不在の、非日常の光景であるためでしょう。紙などの媒体に集積された知の遺産という沃土を保全管理し、電子情報網の中軸という目に見えない巨木を培養し、そして何よりそれらと人、また人と人とが出会う広場を提供する、図書館という「杜」の存在は、この先も大学にとって不可欠なものでありつづけるでしょう。
PROFILE
附属図書館 副館長
学術資源研究公開センター 史料館長
文学研究科 西洋史専攻分野 教授
有光 秀行
1960年生まれ。
東京大学大学院人文科学研究科西洋史学専門課程(博士)単位取得退学。博士(文学)(東北大学)。高知大学人文学部助教授、東北大学大学院文学研究科・文学部准教授を経て現職。専門はヨーロッパ史(特にイギリス中世史)。