研究テーマ

道路インフラの活用の高度化に向けて 道路インフラの活用の高度化に向けて

東北大学大学院情報科学研究科
人間社会情報科学専攻
教授 井料 隆雅

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はじめに

東北大学大学院情報科学研究科人間社会情報科学専攻の井料研究室では、交通システム、とりわけ道路交通システムにおける観測や数理解析、また数値計算に関する各種の研究を行なっています。言うまでもなく、道路インフラは産業や生活に欠かせない重要かつ身近な公共財です。一方で道路インフラの建設や維持には多大なコストがかかり、需要に見合う十分な供給を行うことがなかなかできません。その結果として、時間や資源を浪費し環境を悪化させる交通混雑がしばしば発生してしまいます。一方で、道路はより円滑で快適な移動のための新技術を実現するための重要なプラットフォームでもあります。

MaaS(Mobility as a Service)、CV(Connected Vehicle)、自動運転のような先端技術はすべて道路インフラがあってはじめて成り立つものです。これらの台頭は、道路の使われ方を大きく変革しようとしています。これらの最新の技術を正しく活用しつつ、貴重な公共財である道路インフラの潜在能力を最大限に発揮する施策に資する高度な交通システム工学の研究が、学術的にも実務的にもよりいっそう求められています。

研究手法は数学的な解析によるものから実道で観測をするものまでさまざまです。交通システムはさまざまな主体が相互作用する複雑なシステムであり、その特徴の解析には高度な数理解析や大規模な数値計算が必要です。一方で交通システムは実際の世の中にあるものであり、今存在する現実の交通システムがどのような状況にあり、また、人々がそれらをどのように使っているかを知ることも重要です。そのためにはデータ指向型の研究が欠かせません。現実の交通システムは巨大であり、大学の研究室が自力でデータを取得することは難しく、国や地方自治体やインフラ運営企業との協同によるビッグデータ解析を主なものとしています。そもそも道路交通システムはその規模が巨大であり、研究室内での物理的な実験による技術開発を行う余地がほとんどないため、自身でものづくりのための要素技術の開発をする場面はあまり多くはありません。一方で、要素技術開発に関する研究が全くないわけではなく、車載器による自動車の挙動の観測技術の開発のような研究も行っています。

以下では、方法論のうち、「理論」「計算」「観測」、すなわち、「交通システムの数理解析」「高並列交通流シミュレータ」「交通ビッグデータ解析」の3つのトピックにわけて、現在進行中あるいは直近まで実施していた研究について紹介します。なお、井料研究室の東北大学での活動は2020年度からであり、ここで紹介する研究活動のうち過去のものには当方の前任校での活動も含まれます。

02

交通システムの数理解析

交通システム上での車両や人々の挙動を数式によりモデル化しその性質を分析する研究を行っています。特に、道路のような混雑する交通システムを対象に、その中で人々(交通利用者)がどのように日々の行動を調整し、その結果として交通システムがどのような状態に達するのか、その動学の特性を数理的に分析する研究を得意としています。

混雑する道路を頻繁に利用する人は、自分の経験やさまざまな情報機器、さらには周囲の人から口コミなどで得られる交通に関する情報を元に、自分が目的地に向けて出発する時刻や目的地までの経路の選択行動を調整します。そのような行動の調整は混雑を変化させるため、利用者はさらに変化した混雑に合わせて再度調整を行います。このような調整過程の相互作用を繰り返すことにより、交通システムの状態は、「均衡状態」と呼ばれる、すべての利用者がこれ以上選択行動を変える動機づけを持たない状態に収束することが期待されます(図1)。もし実際にそうであれば、この均衡状態というものを基準とし、交通システムの計画や運用を行えばよいことになります。

(図1)利用者行動と混雑の相互作用と均衡状態

この調整過程が必ず収束することは上述の均衡状態に基づく意思決定における重要な前提であり、その数学的な証明は学術的のみならず実務的にも大きな意味を持ちます。残念ながらこの性質は常に成り立つものではなく、比較的簡単な交通システムのモデルを用いても均衡状態に収束しないケースがあることが知られています。井料は、そのような例の存在の可能性をかなり早期に指摘し[1]、そのことの数学的手法による証明も行っています[2]。この問題は均衡状態に依拠した交通システムの計画や運用に重大な問題を投げかけています。一方で、収束性を確保するための交通制御に関する提案も行っています[3]

この研究は、現存する交通システムよりも、いまは存在しないが将来において新たに社会実装されるであろう交通システムが期待通りの性能を安定して発揮できるかどうかを事前に解析するような目的で活用できることが期待できます。
特に、新しい交通システムに多く含まれるシェアリングという概念は、利用者と交通システムのあいだに複雑な相互作用を発生させ、それにより予期できない結果が出ることも懸念されます。
実際の社会実装にそのような可能性を検証し適切にシステムを制御する手段を準備するために、上記で説明したような理論を応用することの重要性を研究の中で指摘し[4]、それを前提としてMaaSのような新しいサービスをどう制御し、またどのようなルールを設ければよいかについての研究を行っています。

03

高並列交通流シミュレータ

交通システム上での車両や人々の挙動を数式によりモデル化しその性質を分析する研究を行っています。特に、道路のような混雑する交通システムを対象に、その中で人々(交通利用者)がどのように日々の行動を調整し、その結果として交通システムがどのような状態に達するのか、その動学の特性を数理的に分析する研究を得意としています。

交通流シミュレータは、道路ネットワーク上を走行する車の挙動を交通流理論に基づく数式によりコンピュータ上で計算(シミュレーション)し、道路ネットワークがどのように使われ、どのような混雑が発生しうるかを評価するツールです。交通流シミュレータ自体は成熟した技術であり、商用やオープンソースのものを含めていくつもの実装が国内外に存在します。なので、交通流シミュレータそのものには研究としての新規性があるわけではありません。
一方で、交通流シミュレータを実際の道路ネットワークに対して使うには多くの課題があります。とりわけ正確な入力値を得ることの困難性は大きな問題になります。交通分野でもビッグデータの活用は進んでいるものの、それらは交通現象の原因ではなく結果を反映するものであることがほとんどで、残念ながらシミュレータへ直接入力できる情報はほぼ含まれていません。そのために、その活用にはいわゆる逆問題的なアプローチが必要となります。入力値自体が変動することも一般的で、特に交通需要は日変動を持つだけでなく、災害時や施策導入時には大きく変動します。これらの問題に対処するには、交通流のシミュレーションは考えているケースに対して1回だけ実行すればよいということは決してなく多数のシミュレーションを繰り返し実行することが必要です。そのためには既存のシミュレータは性能としては必ずしも十分とはいえません。特に首都圏や関西圏のような巨大都市への適用は極めて困難です。

井料研究室では、スーパコンピュータを含む高速計算機を活用する高並列交通流シミュレータの開発を継続しておこなっています。これらの計算機は、CPUそのものが特別高速というわけではなく、大量のCPUを並列して同時に用いることにより大規模な計算を高速に実行することを可能としています(例えて言えば、平均的な能力の社員を多数雇用して大規模な事業を行う大企業のようなものといえるでしょう)。よってその活用のためには、大量の計算タスクを適切に分割し実行するため特別なプログラムが必要となります。しかし交通流は時空間の相互依存性が強く、その計算タスクを細かく分割することには困難が伴います。結果として、多数のCPUを並列して活用する高並列交通流シミュレータの実装はなかなか行われていませんでした。

井料研究室では、理化学研究所のスーパーコンピューター「京」やその後継機である「富岳」を対象に開発した高並列交通流シミュレータをベースにその改良を継続しています。この交通流シミュレーターは数千程度のCPUを活用し首都圏や関西圏の道路ネットワークにおける交通流の計算を高速に行うことができます(図2, 図3)。現在は交通ビッグデータと連携した全国規模の道路ネットワークの交通流の計算を実現するための改良を行っています。

(図2)首都圏における交通シミュレーションの計算例
(色の濃淡は交通量(濃い方が多い)を示す)

(図3)関西圏における交通シミュレーションの計算例
(色の濃淡は交通量(濃い方が多い)を示す)

04

交通ビッグデータ解析

伝統的に交通システムはその運営や管理のために継続的に交通量などのデータを取得することが一般的であり、ビッグデータという言葉が生まれる前からそのようなデータを活用した研究が行われてきました。特に多くの高速道路には、車両感知器あるいは車両検知機と呼ばれる、通過する車両の単位時間あたりの台数や平均速度を観測する機器が設置されており、交通量や渋滞状況のモニタリングに活用されています。
これらの断面交通量のデータはGPSやスマートフォンのような技術が普及する前から蓄積されており、交通現象の研究にも多く活用されています。井料研究室でも過去にいくつかの分析を行なった事例があります[5][6][7]。特に長期にわたり蓄積されている点は他のビッグデータにはあまりない特徴で、10年以上の期間にわたる交通現象の長期変動を解析することできます[8]

一方で、近年では移動体に搭載されるGPSにより収集される位置情報データを活用する研究が世界中で盛んとなっています。新型コロナの報道で繰り返し出てきた、スマートフォンの位置情報を統計処理して得られる「人流データ」はその代表格ですが、もちろんそのようなデータは交通行動分析にも応用することができます。井料研究室でも人流データを用いる研究は行なってはいますが[9]、メインで取り組んでいるのは、自動車に関するデータを国土交通省や高速道路会社と協同し活用する研究です。これらのデータは道路の使われ方や性能に関する精緻な情報を全国規模で含み、 24時間365日連続で観測されるものであり、まさにビッグデータというにふさわしい規模を持っています。データの容量も莫大なものとなるため、その活用には、特に交通現象分析に特化したデータの管理方法を開発する必要があります。そのための技術として井料研究室では道路ネットワークを階層化しデータを管理する階層化データベースを開発しています[10][11]。このデータベースでは、幹線道路や交通量の多い道路で構成される上位層の道路ネットワークを、デジタル道路地図と呼ばれる道路地図データから抽出し、それを基にデータを管理することを行っています。これにより上位層のデータサイズを大幅に削減することに成功しています。

自動車から得られるデータの観測精度や観測機器に関する研究も行っています[12]。現時点で活用されているデータはGPSで取得される位置情報ですが、その観測精度や観測頻度の良し悪しは、そのままデータの活用可能性の良し悪しに直結します。井料研究室では実車による実走実験や路側にカメラを設置した観測によってデータを取得し、実道における観測精度の検証と、それがデータの活用に与える影響についての分析を行っています。

05

今後の展望

道路は昔からあるインフラで、それに関する研究はともすると古めかしい印象を持たれるかもしれませんが、実際には最新技術やデータを駆使した先進的な研究が継続して行われています。道路インフラはプラットフォームとして大規模かつ普遍的なものであり、将来にわたって、その時々の最新技術を駆使しつつ、人々の生活をより豊かにし産業をより発展させるために、さまざまな形で活用されていくことは間違いありません。今後も道路インフラの活用の高度化に資する研究を実施したいと考えています。

参考文献

  1. Iryo, T.: An analysis of instability in a departure time choice problem, Journal of Advanced Transportation, Vol.42, No.3, pp.333‒356, 2008.
  2. Iryo, T.: Instability of departure time choice problem: Acase with replicator dynamics, Transportation Research Part B, Vol.126, pp.353-364, 2019.
  3. Iryo, T., Smith, M. J., and Watling, D.: Stabilisation strategy for unstable transport systems under general evolutionary dynamics, Transportation Research Part B, Vol.132, pp.136‒151, 2020.
  4. Iryo, T. and Watling, D.: Properties of equilibria in transport problems with complex interactions between users, Transportation Research Part B, Vol.126, pp.87‒114, 2019.
  5. 小池真実, 井料隆雅, 日下部貴彦, 朝倉康夫:時間帯別料金割引制度が交通量パターンに与える影響の実証分析, 第29回交通工学研究発表 会論文集, pp. 229-232, 2009.
  6. 中田諒, 安田昌平, 井料隆雅, 朝倉康夫,:実データを基にした交通流シミュレーションによる高速道路上の突発事象マネジメントの評価. 土木学会論文集D3, Vol. 70, No. 5, pp. I_971-I_979, 2014.
  7. 上田大樹, 井料隆雅, 朝倉康夫,:長期ETC統計データによる異なるランプ間OD交通量と旅行時間の相関分析. 交通工学, Vol. 49, No. 3, pp. 43‒52, 2014.
  8. 村上友基, 井料隆雅, 中田諒, 萩原武司, 車両検知器データによる交通容量の長期変動モニタリング. 土木学会論文集D3, Vol. 72, No. 5, pp. I_1275-I_1281, 2016.
  9. Urata, J., Sasaki, Y., and Iryo, T.: Spatio-temporal analysis for understanding the traffic demand after the 2016 Kumamoto earthquake using mobile usage data. IEEE Conference on Intelligent Transportation Systems, pp. 2496‒2503, 2018.
  10. 蓄積車両軌跡データの効率的活用のための階層型データベースの構築
    https://www.mlit.go.jp/road/tech/jigo/jigo.html
  11. Yasuda, S., Iryo, T., Sakai, K., and Fukushima, K.: Data-oriented network aggregation for large-scale network analysis using probe-vehicle trajectories, 2019 IEEE Intelligent Transportation Systems Conference (ITSC), pp. 1677-1682, 2019.
  12. ETC2.0データの活用と評価を通じた次世代ETCの基本設計提案
    https://www.mlit.go.jp/road/tech/shinki/h31koubo.html