ミュオン触媒核融合におけるミュオン原子過程理論

東北大・院・理 木野康志  

1. はじめに
電子の207倍の質量を持ち2.2 msの自然崩壊寿命を持つ負電荷のミュオン(m-)はその他の面では電子と似た様な性質を持つ。ミュオンの様な重い負の粒子(パイ中間子、反陽子等)が電子と置き換わってできる原子分子系はエキゾチック原子分子と呼ばれ原子分子、量子化学、原子核の境界領域に位置する学際的な新しい研究分野である。その中でもミュオン触媒核融合(以下mCFと略す)は、量子力学的少数多体系に関する学問的興味の他にエネルギー生産等の実用の面もあり理論と実験共に精力的に研究が行われている[1]。
mCFの基本的なアイディアは、ミュオンm-、重陽子d+、三重陽子t+からなるミュオン分子イオン(dtm)+はそのサイズが水素分子の約200分の1の大きさのため、2つの原子核d+とt+は核力の及ぶ範囲まで接近しこの分子内で核融合反応を起こす事である。この反応(dtm)+a2++n+17.6MeV+m-はミュオンが核融合反応には直接関与せず触媒の様な働きをするためミュオン"触媒"核融合と呼ばれる。
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図1 mCFサイクルの主要部分

mCFのサイクルの概要を図1に示す。実験的には核融合14MeV中性子と核融合後にできるミュオン原子イオン(Hem)+からのX線を観測するが、mCFサイクルの各素過程については理論による計算が必要である。理論的課題は各素過程の反応率等の計算を行う事と、その計算を基に新たなサイクルの可能性を検討する事である。
ミュオンの質量は原子核と比べて無視できないためミュオンの運動と原子核の運動を分離する断熱近似が困難である。我々は断熱近似を使わず、正しい境界条件を与えるヤコビ座標を用いる精密な計算方法(組替えチャネル結合法)を開発し、(dtm)+等のミュオンを含む三体系の計算を行ってきた。この方法の特徴はこの他に、

今回の講演ではこれまで我々のグループが行ったmCFに関連したミュオン原子過程の主な計算結果を紹介する。

2. ミュオン分子イオン(dtm)Ju+







図2 ミュオン分子共鳴生成。ポテンシャルカーブとエネルギー準位は左から(dtm)Jv+、D2、[((dtm)Jv+-d+)e-e-]K'n'を表しエネルギースケールは(tm)1s+D2を0に合わせてある。

mCFにおいて中心的役割を果たすミュオン分子イオン(dtm)+
(tm*)1s+[(d+-d+)e-e-]Kn[((dtm)Jv+-d+)e-e-]K'n'
という反応により生成される(図2)。ここで[(d+-d+)e-e-]KnD2分子を、Knは分子の回転、振動状態を表しJv(dtm)+の回転、振動状態を表す。つまりミュオン分子が生成するとき放出されるエネルギー((dtm)Ju+の束縛エネルギー)と(tm)1sが持つ運動エネルギー(系の温度によって決まる)はD2分子の励起エネルギーとして吸収される。この反応は共鳴的に起こるため(dtm)Jv+の束縛エネルギーは非常に高い精度(0.001 eV〜10K)で計算する必要がある。全エネルギーは-2.7keV以上あるため(ほとんど(tm)1sの束縛エネルギー)、計算においては7桁以上の有効数字が必要である。
eJ=0,u=0 eJ=0,u=1 eJ=1,u=0 eJ=1,u=1 eJ=2,u=2 CJ=1,u=12
変分法(組替えチャネル)[2] 319.140 34.8344 232.472 0.6601 102.643 0.764[6]
変分法(ヒララス型関数)[3] 319.140 34.8344 232.472 0.6602   1.012[7]
変分法(楕円座標関数)[4]       0.6597    
断熱近似[5] 319.15 34.87 232.44 0.64 102.54 0.659[8]
表1 ミュオン分子イオン(dtm)Ju+の束縛エネルギー(それぞれ(tm)1s+d+閾値からの値で
単位はeV)と、t+とd+が遠く離れた点での波動関数の規格化定数の二乗
表1に(dtm)Ju+の束縛エネルギーを示す。4つの異なる方法とも同じ値を示しているが計算時間は我々の変分法(組替えチャネル)が1分程度に対して他の方法は10時間以上である。この事から、我々の方法はこの三体系の物理的性質をよりよく反映していると言える。また計算時間が短いので、ここで求めた三体波動関数を使用する計算を容易に行う事が出来る。
mCFにおいて特に重要なJ=u=1状態の波動関数は(tm)1s+d+閾地からわずか0.660eVの非常に浅い位置に束縛しているため、t+とd+が遠く離れた点ではある未定の規格化定数CJ=1,u=1を除いて(tm)1sとdの自由運動として正確に記述できる。ミュオン分子生成率はこの規格化定数CJ=1,u=1の二乗に比例するため、エネルギー準位の計算の他に遠方での波動関数の計算も重要である。表1に示すようにミュオン分子生成率は計算により10〜20%変わるが、我々の波動関数は 図3に示すように200atm(atmはミュオン三重水素原子のボーア半径)まで精度よく計算されている(他の計算は40atmまでで5%の精度)。実際に我々の計算値を使って低温でのミュオン分子生成率の計算を行うと実験値と一致する[9]。










図3 計算により求めた波動関数と遠距離で正確な波動関数の比。
(J=u=1状態のミュオン分子イオンの大きさは 9atm程度)

3. ミュオン原子衝突反応
ミュオン原子衝突はmCFサイクルの中で最も基本的な反応であり、その中でも基底状態間のミュオン移行反応(dm)1s+t+→d++(tm)1s+48eVはサイクル率を決める上でも重要な反応である。我々は境界条件を正しく記述するヤコビ座標を使い、多種多様なミュオン原子衝突を統一的に取り扱えるように、断熱近似を用いない一般的な散乱問題を計算する方法を開発した。我々は上記の移行反応を広いエネルギー範囲(0.001〜100eV)で計算し実験値と良い一致を得た[10]。最近この方法を更に高いエネルギーの領域まで拡張し、ミュオン分子イオンの共鳴状態(dtm)res+の寿命及び崩壊の分岐比の計算を行った[11]。計算結果は新しいmCFサイクルの存在を示唆し、これまで未解決だったq1s問題を解決する可能性がある事が分かった。
4. ミュオン分子イオン(dHem)2+の崩壊の同位元素依存性
mCFにおいて4Heは核融合生成物であり、3HeはTのb崩壊生成物であるため常に不純物として考慮に入れなければならない。ミュオンはdm+He→(dHem)2+e-+e-→(Hem)++d++e-+e-の過程によりHe原子核に捕まり、そこで寿命を終える(mCFサイクルから外れる)。またmCFによるd+3He→4He+p+18.6MeV反応の可能性からも興味がある。
(dHem)2+ミュオン分子イオン状態は(dHem)2+→(Hem)++d++g(6.8keV)でX線を放出するかあるいは(dHem)2+→Hem++d+で粒子を放出して崩壊する。実験ではこのX線を観測するが実験結果は3Heと4Heの場合で大きな違いがあった[12,13]。我々は(Hem)++d+→(dHem)2+→(Hem)++d+散乱問題を解くことにより粒子放出崩壊の寿命を計算し、ミュオン分子イオン(dHem)2+の崩壊に強い同位元素依存性がある事を示し実験結果をうまく説明できた[14]。

5. まとめ
ミュオン原子分子過程の計算は、mCFサイクルの理解を深め新たな過程を検討するのに重要な役割を果たし、精密な実験研究との連携により未解決の諸問題を解明する事が期待される。

参考文献
[1]
mCFに関するレヴューとして最近のものでは、
L.I. Ponomarev, Contemporary Phys.,
31, 219 (1990),
P. Froelich, Adv. Phys.,
41, 405 (1992),
J.S. Cohen,
Reviews of Fundamental Processes and Applications of Atoms and Ions, edited by C.D. Lin (World Scientific Pub. Co., Singapore), p61.
[2]M. Kamimura, Phys. Rev., A38, 621 (1988).
[3]S.A. Alexander et al., Phys. Rev., A38, 26 (1988).
[4]V.I. Korobov et al., Phys. Lett., B196, 272 (1987).
[5]S.I. Vinitsky et al., Soviet Phys., JETP, 52, 353 (1980)
[6]Y. Kino et al., Phys. Rev., A (in press).
[7]G. Aissing et al., Phys. Rev., A42, 6894 (1990).
[8]L.I. Menshikov, Yad. Fiz., 42, 1184 (1985) [Sov. J. Nucl. Phys., 42, 750 (1985)].
[9]Yu.V. Petrov, private communication.
[10]Y. Kino et al., Hyperfine Interactions, 82, 45 (1993).
[11]Y. Kino et al., in preparation.
[12]K. Ishida et al., Hyperfine Interactions, 82, 111 (1993).
[13]B. Gartner et al., private communication.
[14]Y. Kino et al., Hyperfine Interactions, 82, 195 (1993).


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