2022年7月25日
解説「分科会の提言と空気感染(エアロゾル感染)」
私たちの殆どは,2021年8月に「最新の知見に基づいたコロナ感染症対策を求める科学者の緊急声明」(http://web.tohoku.ac.jp/hondou/stat/)や2022年2月の国立感染症研究所への公開質問状(https://web.tohoku.ac.jp/hondou/letter/)に参加したメンバーである.これら緊急声明・公開質問状の正しさは,さらなる科学的証拠によって裏付けられており,政府の呼びかけや分科会の提言にも一部が反映されてきた[1].
7月14日,分科会は近距離エアロゾル感染を認め具体的対策にも言及した.エアロゾル感染が近距離でも起こるとした点で評価できるものである.しかし,基本的感染対策は変わらないとされ,稀にしか起こらない接触感染への対策である徹底消毒も基本的感染対策とされたままである.対策に割ける人的・経済的資源が有限である以上,優先順位が示されない対策の羅列では,効率的な感染抑制は原理的に困難である.
感染経路への科学的・世界的理解がさらに進んだ現在,優先すべきものは明らかに空気感染(エアロゾル感染)対策である.空気感染は主に感染者の口腔や鼻から空間に放出されるウイルスを含んだエアロゾルが空間に滞留する濃度に応じて起こる.このエアロゾル滞留濃度を下げることで効率的な感染抑止が可能となる.すなわち,以下に挙げる2つの方向が優先されるべきであり,日本においては改善の余地が未だ大きい.
1)ウイルス対応マスクによる,口腔から空間に放出されるエアロゾルの量と,他者からのエアロゾル吸入の抑制
ウイルス対応の,すきまの少ない不織布マスク(以降,ウイルス対応マスク)は感染者からのウイルス排出を抑えると同時に,非感染者がエアロゾルとしてウイルスを吸入する確率を小さくでき,相乗効果があることは昨年8月の「緊急声明」で既に述べた.しかし,脱マスクへの誤解から再び利用率が高まっているウレタンマスクや布マスクは,粒子径5μm以下のエアロゾルの吸入阻止に無力である.空気感染に不織布マスクは無効とする間違った見解が,少なからぬ医師の間でさえ広がっていることも問題である.マスクへの誤解,不適切な着用が増える中,分科会からも,政府からも,ウイルス対応マスクの重要性への言及は殆どなされていない.行動規制の可能性を云々する前に,既に多くの医学研究で高い効果が実証され,経済への影響も少ないウイルス対応マスクの徹底がまず議論されるべきである.
2)滞留するエアロゾルの機械換気による排出,エアロゾル濃度抑制
感染者から放出されたエアロゾルは屋内で長時間空間に滞留しうる.分科会は今般,エアロゾルを排出するための換気の工夫について具体的な説明を行った点,高く評価出来る.一方,日本における問題は,冬ばかりでなく夏にも猛暑のため,窓開けを用いた換気が困難になる点にあり,実際,夏の感染拡大が繰り返されている(昨夏,日本で大流行が起こっている頃,冷房使用率の低いヨーロッパ諸国では感染拡大は起こっていない).省エネの点からも,熱交換換気や空気清浄フィルター等,冷暖房と両立できる形の機械的換気の活用が重要である.
基本的感染対策を,現在の科学的知見に従って抜本的に改める必要
現在の基本的感染対策は,未だ接触感染や飛沫感染を重視している.これは,国立感染症研究所が少なくとも2022年1月まで行ってきた感染経路疫学分析に誤りがあったためと考えられる(2022年7月14日付けの公開質問状を参照:
https://web.tohoku.ac.jp/hondou/letter2/).分析の誤りから,接触感染や飛沫感染の頻度を現実より多く評価し,空気感染(エアロゾル感染)の頻度を低く評価したものが,日本の感染対策基礎データとなってきた.現在の世界的コンセンサスは,接触感染は稀で,飛沫感染よりも空気感染を主たる経路とする.したがって,接触感染対策としての徹底消毒は基本的感染対策としては不適当と考えられる.また,アクリル板等の飛沫対策は,空気感染抑制に重要な換気を妨げることで感染拡大を招きうる.7月14日の分科会はアクリル板等の問題を認めたが,気流と両立するアクリル板の設置は,専門的知識がない市民には容易でない.
このように,分科会の提言では以下の点が曖昧なまま残されている.実効性ある対策のため,これらの点が科学的根拠ともに明示されることが必要である.
l
感染対策の優先順位
Ø
徹底消毒や,感染リスクをむしろ高める可能性が大きいアクリル板等を,基本的感染対策の要件として残す必要があるか
l ウイルス対応マスクの重要性
l 冷暖房と両立できる換気方法
Ø
熱交換換気,空気清浄フィルター等
以上
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本堂 毅(東北大学大学院理学研究科,世話人)
平田光司(総合研究大学院大学,名誉教授)
向野賢治(福岡記念病院・内科)
樋口 昇(腎臓内科)
米村滋人(東京大学大学院法学政治学研究科,医師・医事法)
清水宣明(愛知県立大学看護学部)
平久美子 (東京女子医大附属足立医療センター)
山崎英樹(清山会医療福祉グループ,医師)
森内浩幸(長崎大学大学院医歯薬学総合研究科)
なお,本解説は研究者が個々の判断で行うものであり,所属する組織の公式の立場を表明したものではない.
【関連文献】
①
2021年8月27日 Science (サイエンス・総説)
Airborne
transmission of respiratory viruses
呼吸器系ウイルスの空気感染
https://www.science.org/doi/10.1126/science.abd9149
・屋内と屋外の感染率の顕著な違いは空気感染でしか説明できない。なぜなら、重力で(シンプルに)落下する飛沫は、屋内でも屋外でも同じ動きをするからである。
・COVID-19のパンデミックの初期には、麻疹に比べて比較的低いR0(基本再生産数)を根拠に、飛沫・接触感染が主な感染経路であると考えられていたが、空気感染する病気のR0は様々であり、その平均値は様々な要因によって変化するため、科学的根拠はない。
・換気、気流、マスクのフィットと種類、空気濾過、紫外線を利用したエアロゾルの不活化などに注意し、屋内と屋外の環境を区別して対策を講じる必要がある。
・十分な換気量を確保し、(十分な濾過を経ない)再循環を避けるなどの戦略が推奨される。
・室内空気質を改善するための対策は、COVID-19のパンデミックをはるかに超えた健康上のベネフィットをもたらす、長期にわたる改善につながるものであることに留意する必要がある。
② 2021年4月15日 THE LANCET(ランセット)
Ten scientific reasons in
support of airborne transmission of SARS-CoV-2
SARS-CoV-2の空気感染を支持する10の科学的根拠
https://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(21)00869-2/fulltext
・空気感染が主要な感染経路である。
・ウイルスの空気感染を防ぐには、感染性エアロゾルの吸入を避けるために、換気、空気濾過、人混みや室内での滞在時間の短縮、室内で常にマスク着用すること、マスクの品質やフィット感への配慮、医療従事者や第一線で働く人々へのより高度な防護策などの対策が必要である。
③
2021年2月2日 nature(ネイチャー)
Coronavirus is in the
air — there’s too much focus on surfaces
コロナウイルスは空気中にあります。表面に焦点が当てられすぎています。
https://www.nature.com/articles/d41586-021-00277-8
・コロナウイルスSARS-CoV-2は、主に空気を介して伝播します。
・一部の公衆衛生機関は、表面が脅威をもたらすため、頻繁に消毒する必要があることを依然として強調しています。その結果、ウイルスの拡散を防ぐための取り組みに優先順位を付ける方法について明確なガイダンスが必要な場合、紛らわしい公開メッセージが表示されます。
④
2020年8月20日 BMJ(ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル)
Airborne
transmission of covid-19
covid-19の空気感染
https://www.bmj.com/content/370/bmj.m3206
・空気感染の理解・対策に必要な基礎科学が誤解されている場合、このパンデミックを制御することは困難です。空気感染の重要性を受け入れることは、パンデミック制御の重要な突破口となる可能性があり、これ以上遅らせるべきではありません。
・社会的距離を取り、室内での対話を制限し、空気の循環を回避し、自然換気と人工換気を改善し、エアロゾルを捕捉・不活化して個人・コミュニティの空間に、綺麗な空気を提供する革新的な工学解決策によって、ウイルス吸入のリスクは減らすことができます。
⑤
2021年4月16日 JAMA(米国医学会雑誌)
Indoor Air
Changes and Potential Implications for SARS-CoV-2 Transmission
屋内空気交換とSARS-CoV-2感染への影響の可能性
https://jamanetwork.com/journals/jama/fullarticle/2779062
・SARS-CoV-2は主に呼気中のエアロゾルから感染する。
・感染症の空気感染を防ぐためには、屋内の呼吸器系エアロゾル濃度を制御することが重要で、発生源の制御(マスク着用・物理的距離)と工学的な制御(換気・濾過)が必要である。
⑥
2021年5月14日 Science(サイエンス)
A paradigm
shift to combat indoor respiratory infection
室内呼吸器感染症対策のためのパラダイムシフト
https://science.sciencemag.org/content/372/6543/689
・呼吸器感染症の伝播メカニズムの理解が急速に進んでいることから、私たちは、不必要な苦痛や経済的損失を避けるために、呼吸器感染症の伝播をどのように捉え、どのように対処するかについてのパラダイムシフトを起こすべきである。
【既に対策の舵を切っている例:アメリカ】
(間違った対策=アクリル板や消毒が今回のホワイトハウスの対策に含まれていないことに注目)
⑦ 2022年3月17日 The White House(ホワイトハウス)
Biden Administration Launches Effort to Improve Ventilation and
Reduce the Spread of COVID-19 in Buildings
バイデン政権は、建物内の換気を改善し、COVID-19 の蔓延を抑える取り組みを開始
・環境保護庁(EPA)は、室内空気質を改善し、危険な空気中の粒子(airborne particles)を拡散させるリスクを低減するためのベストプラクティスガイドを発表した。
・アメリカン・レスキュー・プランでは、州および地方自治体に3500億ドル、学校に1220億ドルが提供され、換気や濾過の改善を支援するために使用することができる。
・州・地方財政再建基金プログラムと初等中等教育救済プログラムの資金は、現在の換気システムの検査、テスト、メンテナンス、HEPAエアフィルターを備えたポータブル空気濾過装置の購入、HVAC(空調)システムとエアコン用のMERV-13(またはそれ以上)フィルターの購入、ファンの購入、窓やドアの修理、業界標準に沿ったHVACシステムのサービス、アップグレード、交換などに使われる。
⑧ 2022年3月23日 The White
House(ホワイトハウス)
Let’s Clear The Air On COVID
COVIDについて誤解を解こう(空気を綺麗にしよう)
https://www.whitehouse.gov/ostp/news-updates/2022/03/23/lets-clear-the-air-on-covid/
【アクリル板は、部屋の適切な換気を阻害し、エアロゾルがより多く蓄積される可能性がある】
⑨ 2021年5月21日 CDC(米国疾病予防管理センター)
Mask Use and Ventilation
Improvements to Reduce COVID-19 Incidence in Elementary Schools — Georgia, November 16–December 11, 2020
小学校でのCOVID-19発生率低減のためのマスク使用と換気改善―ジョージア州、2020年11月16日~12月11日
https://www.cdc.gov/mmwr/volumes/70/wr/mm7021e1.htm?s_cid=mm7021e1_w
・マスク、換気、空気濾過が感染率の低下と相関した。
・机やテーブルに障壁を設置しても、感染率の低下とは相関しなかった。
Household COVID-19 risk and in-person
schooling
家庭のCOVID-19リスクと対面式学校教育
https://www.science.org/doi/10.1126/science.abh2939
・デスクシールドがリスクを高める可能性が示唆された。
(近年、海外の主要な論文の多くは、空気感染=エアロゾル感染として掲載されている)
⑪ 2020年7月24日 THE LANCET(ランセット)
Particle sizes of infectious aerosols: implications
for infection control
感染性エアロゾルの粒子サイズ:感染制御への影響
https://www.thelancet.com/journals/lanres/article/PIIS2213-2600(20)30323-4/fulltext
・ほとんどの呼吸器感染症が、主に大きな飛沫感染に関連しているという概念を支持する証拠はありません。現在のガイドラインに反して、小粒子エアロゾルが、例外ではなく支配的です。
⑫ 2020年10月5日 Science(サイエンス)
Airborne transmission of SARS-CoV-2
SARS-CoV-2の空気感染
https://science.sciencemag.org/content/early/2020/10/02/science.abf0521.full
・エアロゾル(100μm未満)
に含まれるウイルスは、煙のように数秒から数時間、空気中に浮遊したままになり、吸入されうる。飛沫によって噴霧されるよりも、エアロゾルを吸入する可能性が遥かに高いため、空気感染への防御に、注意のバランスをシフトしなければならない。
⑬ 2021年5月25日 Journal of
Hospital Infection(病院感染症雑誌)
Aerosols should not be
defined by distance travelled
エアロゾルは移動距離で定義すべきではない
・飛沫感染の本来の定義と一致する「飛沫droplets」という用語は、「空気中を短い距離で飛ばされ」、「空気中に浮遊したままにならない」ほど大きく、「吸い込まれるには早すぎて地面に落ちてしまう」「滴drops」のみを指すべきである。
・「エアロゾルaerosols」とは、定義上、空気中に浮遊しているもの、すなわち「空気媒介airborne」である。
・基本的に、浮遊している粒子を人が吸い込むことができれば、その大きさや発生源(感染者)からの距離にかかわらず、それは「エアロゾルaerosols」である。
・吸い込むことができれば、どれだけ移動したかにかかわらず、それは「エアロゾルaerosols」である。
⑭ 2021年1月12日 Journal of Hospital Infection (病院感染症雑誌)
Dismantling myths on the airborne transmission of
severe acute respiratory syndrome coronavirus (SARS-CoV-2)
SARS-CoV-2空気感染の神話(誤解・迷信)解体
https://www.journalofhospitalinfection.com/article/S0195-6701(21)00007-4/fulltext#%20
・大きな飛沫を介した感染伝播は、どのような呼吸器ウイルス感染症でも直接証明されてこなかったことは注目に値する。
・神話を捨て、ウイルス感染伝播の科学を書き換える時が来たのだ。
【マスク,特に高性能マスクの高い有効性への実証研究】
⑮ 2022年2月11日 CDC(米国疾病予防管理センター)
Effectiveness
of Face Mask or Respirator Use in Indoor Public Settings for Prevention of
SARS-CoV-2 Infection — California, February–December 2021
SARS-CoV-2感染予防のための屋内公共環境におけるマスクの有効性―カリフォルニア州、2021年2月~12月
https://www.cdc.gov/mmwr/volumes/71/wr/mm7106e1.htm
・カリフォルニア州で、感染者の集団と、非感染者の集団を比較して、マスクの有効性・種類による感染防御効果の違いを調査した。
・マスクをしてなかった人に比べて、高性能マスク(N95/KN95)、サージカルマスクをしていた人は、感染リスクがそれぞれ83%、66%、統計的に有意に低下した。布マスクでは、56%減少したが、統計的有意差はなかった。